津波の犠牲者ゼロ“奇跡の避難”の記録 継承が守った命 次の世代へ(2023年9月1日)

津波の犠牲者ゼロ“奇跡の避難”の記録 継承が守った命 次の世代へ(2023年9月1日)

津波の犠牲者ゼロ“奇跡の避難”の記録 継承が守った命 次の世代へ(2023年9月1日)

 関東大震災から9月1日で100年、「つなぐ~津波の記憶~」。100年前から小学校に受け継がれてきた作文集には津波に襲われながらも犠牲者を1人も出さなかった“奇跡の避難”の記録が残されていました。

■“奇跡の避難”記された作文集

 テレビ朝日のライブラリーに関東大震災の津波の惨状を伝える映像が残されていました。押し流された家屋の残骸。その傍らに船が打ち上がっています。まだ水が引かない被災地を行き交う人の様子も記録されていました。映像が撮影された静岡県伊東市周辺には東日本大震災に匹敵するほどの巨大津波が押し寄せました。

 甚大な被害を受けた海沿いの街。そのなかで津波に襲われながらも誰一人、犠牲にならなかった地区があります。相模湾に面した小さな街、伊東市宇佐美地区です。“犠牲者ゼロ”の奇跡。あの日、この場所で何が起きていたのでしょうか。

 それをひも解く資料が小学校に残されていました。校長室の一番奥の棚に保管されていたのは…。

 伊東市立宇佐美小学校 木村誠教頭:「100年前の子どもたちが書いた作文集になります。一人ひとりが津波を通して体験した生の声が刻まれている」

 津波を目の当たりにした当時の小学生が被災直後に書いた作文集です。そのなかには子どもたちが津波から必死に逃げる様子がつづられていました。

■津波“犠牲者ゼロ”小学生の記録

 「津波だ、何でも上へ逃げろ」。家族、そして地域住民の上げた声が“奇跡の避難”につながったのです。

 ただ、1つ疑問が残ります。100年前に宇佐美地区の住民はなぜ揺れの直後に「津波から逃げろ」と叫ぶことができたのでしょうか。

■“犠牲者ゼロ”継承が守った命

 伊豆半島の津波研究を続ける中田剛充さんはあの日の奇跡の原点に「過去の失敗」があったと分析しています。
 
 伊豆半島の津波を研究 中田剛充氏:「元禄津波があって、1703年に小学校付近で大勢亡くなっている。そういう伝承、記憶は皆さん方にあると思うので」

 関東大震災からさらに220年前、元禄地震でも宇佐美地区は津波に襲われていました。この時は多くの住民が逃げ遅れ、命を落としたといいます。こうした元禄地震の教訓が何世代にもわたって語り継がれ、100年前“命を守る声”に。

 そして今、その経験はさらなる次の世代へと継承されています。

■“奇跡の避難”の記録 次の世代へ
  
 中田さんは3年前から作文集に書かれたことを小学校の子どもたちに伝えています。

 伊豆半島の津波を研究 中田剛充氏:「100年前にひいじいさん、ひいばあさんが書いたお手本があります。スマホとか携帯と言いましたね。でも一番効果があるのは近くの人が『逃げろ』。これが一番効きます」

 小学6年生:「お母さんのお母さんのお母さんたちが経験しているので、僕たちも生かしたい」「(地震の時は)『逃げろ』と皆に早く伝えたい」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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