爆撃機が襲来 街は火の海に…体験者が語る東京大空襲 どう受け継ぐ? 終戦から78年(2023年8月15日)

爆撃機が襲来 街は火の海に…体験者が語る東京大空襲 どう受け継ぐ? 終戦から78年(2023年8月15日)

爆撃機が襲来 街は火の海に…体験者が語る東京大空襲 どう受け継ぐ? 終戦から78年(2023年8月15日)

 78回目となる「終戦の日」の15日。政府が主催する全国戦没者追悼式が、東京・九段下にある日本武道館で行われた。

 天皇陛下:「終戦以来78年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思う時、誠に感慨深いものがあります」

 戦争を経験した世代が減り続けるなか、体験者たちの「記憶」をどう受け継いでいくかが、大きな課題となっている。

■自宅を焼夷弾が直撃「裸足のまま外に飛び出して…」

 1945年8月15日の玉音放送:「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」

 1945年8月15日、太平洋戦争は終わりを迎えた。

 その5カ月前の3月10日。それまで、日本軍の関係施設を狙ってきたアメリカ軍が、この日初めて人口が密集する市街地に爆弾を投下した。「東京大空襲」だ。

 夜間、B29の大群が低高度から1665トンもの焼夷(しょうい)弾を投下。東京の街は火の海と化し、およそ10万人の命が失われたという。

 当時6歳で、東京大空襲にあったという藤間宏夫さん(85)に話を聞いた。

 藤間さん:「(午前)0時ちょっと回ったところで、うちの上も隣も全部、焼夷弾というやつが直撃。雨あられというのはああいうことなんですよ。ヒューッと、何百機という、実際に500機くらいのB29らしいですけれども。来て、真上からどんどんどんどんどんどんと落としていくんです。焼夷弾というのは、中に全部オイルが入っていますから。破裂した瞬間に10メートル四方ぐらい、バーッといっぺんに火付けするんだよ」

 現在の日本橋浜町に暮らしていた、藤間さん一家。自宅を焼夷弾が直撃した。

 藤間さん:「(Q.逃げる道中っていうのは、どういう状況だった?)体に火がつくんですよ、焼夷弾って。家が燃えるだけじゃなくて、体や服にぺたっとくっつくと、あっという間に火だるまになります。それが(爆弾が)ドンとまっすぐうちに直撃するとは思っていなかったんで。もうスリッパも一切はけない。裸足。その裸足のまま外に飛び出すんですけど、路面は全部焼けているわけですよ。それで避けるようにして行っても、どこ行っても、ものすごい勢いで焼けていますよね。ただ火に追い掛けられながら、火の中を(逃げた)」

■「死ぬのは一緒なんだから…」記憶に残る母親の形相

 家族のなかでは、同じ日本橋浜町にある「明治座」を避難場所に決めていた。母と弟と共に、そこに向かっていたのだが…。

 藤間さん:「明治座にたどり着けなかったんです。私も家族も。それで生き延びたんです。たどり着いた人は2000人ぐらい。楽屋の裏から入って、蒸し焼きになったんですね」

 明治座は、すでに焼失していて、中に逃げ込んだ、多くの人が命を失った。藤間さんら3人は、近くの倉庫に逃げ込んだ。

 藤間さん:「どこかの商店のキッチンがある、ちっちゃい倉庫ですよね。偶然にもその前に、3人が(着いた)。もう顔が真っ黒でしょう。裸足だし、あちこちやけどしているでしょう」

 半地下の倉庫に逃げ込んだ3人。しかし、外は火の海…。倉庫内の温度は、耐えられないほどに上昇したという。

 藤間さん:「その時に持ち主の方が、皆さん、縁があってここに入ったんだから。皆さんここで死にましょうって、おっしゃったんですよ。ガタガタガタガタと体が震えて。母親が水筒を出して、もう本当にわずかに残っている水を口に入れて。『皆さんがいらっしゃるのに、みっともないまねするんじゃない』って。『死ぬのは一緒なんだから、覚悟しなさい』って。その時の形相が(記憶に)残っています、母親の」

 死を覚悟した藤間さんだったが、その後、周囲が鎮火し、幸いにも助かったという。

■つらい体験を語り伝え…希望を感じる場面も

 藤間さんが語る、東京大空襲の記憶。実は、自らの体験を人に語るようになったのは、10年ほど前からだという。

 藤間さん:「恐ろしいとか、そういうことがよぎるから、勘弁してくれっていう話をしたんですね。お誘いがあった時に。断り続けていたんですけども、一回死んだ体と思って、お役に立とうと思って。それからのご縁ですから」

 思い出すことすらつらい体験だったが、語り伝えていくなかで、希望を感じる場面があったという。

 藤間さん:「1人でも少年が来るじゃない。小学生とかが。1人でも、少しでも伝わればね。ジジイの話が少しでも、ここ(頭)に残ってくれればいいかなと思ったの。目の前にいると、きょとんとしていることがほとんどなんですよ。最初15分くらい。え、何の話?東京大空襲ってどういうこと?広島と一緒?みたいなね。でも、話しているうちに、ちゃんと質問を。『教科書に載っていないんで、質問していいですか?』と。『いいですよ』と。『教科書に載るようなことじゃないから』と。そんなことを繰り返してやってきたんで、とても良かったなと」

 自分の体験を伝えることに、やりがいを見いだした藤間さん。しかし…。

 藤間さん:「今年おしまいかなと思っているぐらいなんです、実は。近く10年ですけど、体とのいつも相談で。小学生とか中学生の子、僕は幼稚園の子にもやりました。そんな子に分かるように話すということに、今度は若い人も、藤間のこういう話をしていて、本にもこういうことを書いてるからといって受け継いでくれることは、とても良いこと。そうしなきゃ消えちゃうんですよ。東京、日本は火の海になったっていうことが消えちゃうでしょう。戦争はもう二度とやっちゃいけないんだと。どんな理由があろうが」

 戦争の体験を継承していくため、今、何が必要なのだろうか。

(「大下容子ワイド!スクランブル」2023年8月15日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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