『見たくないことも見て次の世代に受け継ぐ』阪神・淡路大震災28年…人と人をむすぶ(2023年1月17日)
6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から2023年1月17日で28年です。
17日朝、トランペットが奏でたのは家族の団らんを歌う「冬の夜」。あの日、厳しい寒さの中、多くの家庭が被災しました。
(同級生を亡くした男性(50代))
「もう一度会えるものであれば会いたいなという思いがあるんですけれども、なかなかそれも叶わないですから。(Qもし彼に会えたなら?)彼は料理人なんですけれども、彼の作った料理を食べる機会があれば食べたかったなと」
震災発生から28年。神戸の街は復興して大きく姿を変えました。今年、東遊園地の竹灯籠がかたどった文字は「むすぶ」。「みんなをむすび一緒に震災を伝えていこう」という思いが込められています。
(教え子を亡くした男性(50代))
「28年前に亡くなった教え子のために来ました。毎年来られているわけじゃないんですけど、あの子の顔を思い出すので苦しいところもあるんですけど」
男性の背中を押したのは、高校3年生の娘でした。
(教え子を亡くした男性の娘)
「(Q追悼式典に初めて来て?)すごく心が痛いです。でも、見たくないこともちゃんとしっかりと見て、次の世代に受け継ぐということを私たちがしていかないといけない」
東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」には、震災で亡くなった人たちの名前が刻まれています。
(母を亡くした女性)
「(母を)助けてやれなかった。助けてやれなかったというか、私自分で(埋もれた母を)掘り出したのよ。出てきたときは生きていたの、まだ。生まれ変わることがあるとしたらやっぱり母の娘がいい」
東遊園地には17日午後5時時点で約3万5000人が訪れたということです。
921人が犠牲となった神戸市長田区では、焼け残ったお地蔵さんを祀る場所で慰霊祭が行われました。手を合わせる人の輪の中に、東日本大震災の「語り部」の高倉伊助さん(66)の姿もありました。
(高倉伊助さん)
「28年たってもこれだけ手を合わせてくれる人がいるんだなと」
高倉さんが住んでいた福島県双葉町は原発事故からの避難が続き、ようやく去年8月から一部地域で帰還が始まりました。しかし、津波で自宅を流された高倉さんは、今なお双葉町から80km離れた別の町での生活を余儀なくされています。
そんな高倉さんを神戸に招いたのは、時が止まった双葉町の姿をスケッチしている神戸市長田区の建築士の曹弘利さん(69)でした。
慰霊式の後、高倉さんは双葉町の調査に取り組む大学生らと語り合いました。
(双葉町の調査に取り組む大学生)
「東北に住んでいない、被災もしていない自分たちに何ができるのかちょっとまだ分からないんですけど」
(高倉伊助さん)
「最終的なゴールは見えないです。ただ、やはりいろいろな人の手を借りて街を再生していくしかないんですよ。もがいてでも、助かった命だから、『生きなきゃ』って気持ちが強いです」
大地震と火災、津波、そして原発事故。何重もの苦難に見舞われた被災地の人々の交わりが震災の記憶をむすびます。
神戸の各地で行われた追悼行事。その中には、コロナ禍で3年ぶりの開催となったものもあります。復興した街並みを歩いて当時の記憶に思いを馳せる「メモリアルウォーク」には約380人が参加しました。
多くの命が犠牲となった震災から2023年1月17日で28年。神戸の街は祈りに包まれています。
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