「なぜ自分たちの世代が」梨泰院と重なる“セウォル号”の記憶 広がる若者たちのデモ(2022年11月4日)
韓国・梨泰院(イテウォン)の群衆事故に巻き込まれた冨川芽生さん(26)の遺体が4日昼過ぎ、成田空港に到着しました。
家族はひと足先に北海道に戻り、5日に芽生さんの帰りを迎える予定です。
4日に行われた追悼法要に参加した、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は、初めて公式に謝罪しました。
尹大統領:「国民の生命と安全に責任を負う大統領として、あまりに悲痛で申し訳ない気持ちです。責任を持って事故を収拾し、二度と悲劇が起こらないようにする大きな責任が私と政府にはある」
5日まで喪に服す韓国。梨泰院から少し離れた所にあるバーでもめっきり客足が途絶えました。
バーのオーナー(30):「(Q.亡くなったのは地震と同じ世代の人だが)コロナで抑圧された若者たちが楽しむために祭りに行った。そこで大きな事故に遭い、とても悲しい」
オーナーの友人:「今回も若者たちが楽しんでいるなかで事故に遭ったから、セウォル号を思い出した。何が起きるか分からないので、常に気を引き締めるようになった」
韓国史上最悪の海難事故、セウォル号の沈没。修学旅行の高校生ら299人が亡くなり、5人の行方は今も分かっていません。
当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領の事故直後の動静が分からず、「空白の7時間」との批判も。政権を揺るがす事態に発展しました。
今回の梨泰院の事故と、8年前のセウォル号沈没を重ねる人は、少なくありません。
4日も多くの人が献花に訪れた場所には、追悼のメッセージも貼られています。
そのなかには「セウォル号304人、梨泰院156人」とつづられたものもあります。
「なぜ?修学旅行から帰ってこられず、世界中で行われているハロウィンなのに、韓国の国民だけ死ななけばならないのか分からない」
国の責任を追及する若者のデモは収まりません。
梨泰院で亡くなった156人のうち、最も多かったのが20代。その世代は、セウォル号が沈没した時、多感な10代を過ごしていました。
26歳:「セウォル号の時、高校2年生で、事故の翌週、船で済州島に修学旅行に行くはずだった。私と同年代の子たちは、こういう惨事を2度も経験している。同年代の子が死んでいくのをテレビの中継で見ていた。だから同年代の子の気持ちも心配」
26歳:「(Q.プラカードに書かれた『どこで何をしていても死なない社会で暮らしたい』というメッセージにはどんな思いが)国は国民がどこで何をしていても、死なない権利を保障すべき。どこで何をしていても死なない社会になってほしいという願いを込めた」
梨泰院から車で1時間ほどの距離にある安山市は、セウォル号に乗っていた修学旅行生の高校がある街です。
セウォル号事故の記録を残す施設では、遺族が大学生に向かって当時の様子などを説明しています。
ここでも梨泰院の事故の話がされていました。
セウォル号事故の遺族:「セウォル号も梨泰院も、20代の若い世代が犠牲になった。韓国で生きていく若い人がかわいそう。気の毒に思う。韓国は私が若い頃よりも、ずっと生きづらくなっています」
別の遺族は、こうも訴えます。
セウォル号事故の遺族:「自分の子どもと別れた時の悪夢を、もう一度見ている気がした。セウォル号の惨事で真相究明が行われなかったから、今回“第2のセウォル号事故”につながってしまいました」
遺族の話を聞いた、大学生はこう話します。
大学生:「とても似ていると思うのは、責任を取る人がいないこと。いくら主催者のいないイベントでも、政府は予想できた。コロナ以降、久しぶりに開催されるイベントなので、十分な警察官を配置できたと思う。『予想できなかった』というのは、責任回避に過ぎない。あまりにも無責任な言葉で、政府にとって国民とは一体誰なのか」
精神科医のキム・ウンジ医師は、セウォル号の事故直後から、犠牲者の出た高校で生徒の心のケアにあたってきました。
キム・ウンジ医師:「この世代は“なぜ我々にこんなにも大変なことが起こるのか”と喪失感を持っている。こういう経験をすると、世の中の安全に対する信頼が薄れる。普通に満員電車に乗っていた人が、人の多い地下鉄で不安を感じたり、多くの人が集まるイベントをキャンセルしたり、日常生活が送れない状況になっている」
教訓が生かされていなかったことも分かりました。
韓国メディアによりますと、沈没事故をきっかけに政府が普及させた警察と消防、そして区役所をリアルタイムで結ぶ無線機が、今回の梨泰院の事故では一度も使われていなかったといいます。
若者たちのデモに居合わせた親の世代は…。
60代:「大人たちの無関心と安易な考えがこうさせた。こんなデモをさせるなんて、大人として申し訳ない。心が痛い」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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