「相談窓口すらない」忘れられた“震災障害者”阪神淡路大震災から27年(2022年1月17日)
17日で、阪神淡路大震災から27年。神戸市では犠牲者を悼む黙とうが行われました。多くの人が祈りを捧げるこの時、この場所に来ることができない人もいます。
阪神淡路大震災で負傷し、後遺症が残った“震災障害者”です。
甲斐研太郎さん(73)も、27年前の地震で障害を負った一人です。当時、神戸市東灘区に住んでいた甲斐さん。木造2階建ての自宅は全壊。落ちてきた屋根とタンスに足を挟まれ、20時間後に救出されたものの、足の筋肉は壊死、11カ月の入院を余儀なくされました。
今も右足首はほとんど動かすことができません。足の甲が膨れ、市販の靴が入らないため、自作のサンダルをはいて生活しています。しかし、この27年間、行政のサポートはほとんどなかったといいます。
震災で障害を負った甲斐研太郎さん:「えっと思いましたけど。家はなくなるわ、収入はないわ、(手術費)50万円の負担。すぐに社会復帰できるわけではないし、経済面でどうしようかと初めてなった」
国による医療費全額負担は震災の翌年には打ち切られ、その後、合計8回の手術・リハビリにかかった自己負担額は600万円に上りました。しかし、国からの災害障害見舞金は対象外。相談窓口すらありませんでした。
震災で障害を負った甲斐研太郎さん:「(Q.“災害障害者”という存在がなかなか目に見えないまま、27年という月日が経っているのは、行政の怠慢ですか、それとも社会の盲点ですか)どちらかといえば盲点でしょうね。実際、現実に色んな自然災害が起こって、死者の数は出ても重軽傷者のあとのフォローはほとんど出ないんですよ。もっと分かりやすくシステム化された窓口を作って、次の生活の情報を教えてもらえる窓口を国が本気で」
自治体が、震災によって生まれた障害者の実態を把握したのは、震災から15年も後のことでした。
支援を訴えるため立ち上がった人たちがいます。
関西大学社会安全学部・山崎栄一教授:「多くの人が障害をおったら何か(支援が)あると思ってる」
弁護士・津久井進さん:「実は(震災障害者が)生きていく大変さの方が、お金がかかるということを(国が)実態を知らない」
震災障害者の支援者・牧秀一さん:「震災障害者の実態はなかなか分からなかったのは事実。つらい思いを一生背負わないといけない人たちに対して、福祉施策でいいだろうということがあまりにも冷たすぎる。それでカバーできるならいいけど、できないやん」
震災障害者の支援者・牧秀一さん「つらい思いを一生背負わないといけない人達に対して、福祉施策でいいだろうということが、あまりにも冷たすぎる」
長年、震災障害者を支えてきた牧秀一さん(71)が感じる課題は、声を上げにくい“社会の空気”だといいます。
震災障害者の支援者・牧秀一さん:「(Q.日本は災害多発国で、多くの障害者を生み出してしまう教訓から何を学ぶべきだと思いますか)その人たちの存在を知らなければ。死者の陰に隠れて、生きてるだけましと言われて、声を上げてはいけないという雰囲気、社会がある。行政として相談にのるというのが、重荷にならない程度でできる」
震災から27年が経った今月、牧秀一さんは、ある人たちとの交流会を開きました。福島原発事故から逃れ関西に避難した人たち“忘れられた存在”をつなぐための交流会です。
震災で脳に障害を負った洋子さんの母・城戸美智子さん(69):「“忘れられた存在”であると声を大にして言いたい。障害を負って、これから生きていかなければならない私たちに、なぜ相談窓口すらなく、何もないんでしょう」
震災から27年。今も苦しんでいる人が存在しています。
震災障害者の支援者・牧秀一さん:「(Q.社会・国がやるべきことはまだまだありそうですね)忘れられている人がまだまだいるので、システムや形を作っていかないと。国も責任ありますよね。僕らは訴えていかないといけないし、諦めてもいけない」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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