【反響】緩和ケア医 45歳の“お別れ動画”…自らも末期がん 唯一気がかりは「家族」【もっと知りたい!】(2022年9月16日)
カメラに向かって笑顔で手を振る男性。男性は、がん患者に寄り添い、体の痛みや精神的な苦痛を和らげる緩和ケア医です。今年4月、自らもがんに侵され、45歳で亡くなりました。今、生前に収録したお別れのあいさつが多くの反響を呼んでいます。動画撮影の裏側を取材しました。
■「最高の人生」再生回数は319万回超
関本剛さん:「皆様、お楽しみ頂いてますでしょうか?本日はお忙しいなか、私の葬儀に、もしくはお通夜に参列頂きまして、本当にありがとうございます」
自らの葬儀であいさつを行う男性。今年4月に、45歳の若さで亡くなった関本剛さんです。
がん患者の体と心の苦痛を取り除く、緩和ケアの医師として働いていましたが、自身も肺がんに侵され、脳に転移。ステージ4まで進行し、残された時間は“2年”と診断されました。
関本さんは息を引き取った後、葬儀で「妻にあいさつをさせるのは忍びない」と、ビデオメッセージを作成していました。
関本さん:「平均寿命からしたら、いささか短い人生ではありましたけども。思い起こせば、最高の妻・子ども・両親・親族に恵まれ、最高の友人・同僚・先輩・後輩に囲まれ、高校時代から生業にしたいと思っておりました、緩和ケアをずっと仕事にすることができ、一言で言うと“最高の人生”でございました」
先月、地元・神戸のメディアでこの動画が紹介されると、今月15日正午までに再生回数は319万回を超えました。
ユーチューブのコメントから:「凛(りん)としている姿に感動した」
関本さんは、自宅で家族に見守られながら、安らかに亡くなりました。
関本さん:「おそらく、これから私はあの世に行きまして、先に逝かれた先輩たちと、恐らく宴会三昧(ざんまい)の日々だと思うんですけども。後から来られる皆様のために、皆様が来られた時に気分良く、こちらの世界に来て頂けますように。天国であっても地獄であっても、いいお店・いいお酒を手配してお待ちしております。もちろん、そのような日が少しでも遅くなりますことをお祈りしつつ、私のお別れのあいさつとさせて頂きます」
■“医師としての仕事”最後まで継続
同じ緩和ケア医でもある、母・雅子さんは次のように話します。
雅子さん:「(がんが分かって)2、3カ月は、本人も家族も私たちもよく泣いてたし、落ち着かない2、3カ月でした。年を越して1月くらいからは、逆に落ち着いてきて。あと2年か。じゃあその2年をいかに過ごそうかと、真剣に計画を立て始めた、そんな感じがします」
家族や友人との時間を大事にしつつ、関本さんは残された時間も患者と向き合うことを決意。自身もがんになったことで、医師と患者の垣根を越えた関係を築いていきました。
関本さん:「頭痛がひどくて、滑舌と右手のまひは相変わらずある」
亡くなるおよそ1カ月前の関本さんです。
治療の影響でしょうか。顔がむくみ、言葉が出にくくなっていますが、周囲に支えられながら、医師としての仕事を続けていました。
関本さん:「週2で新規の面談して、週2で外来して。週3から1回の頻度で、訪問診療をして」
田中章太郎医師:「変わってないじゃないですか、ほとんど」
関本さんは大学時代からの知り合いで、共に在宅医療に取り組む田中章太郎さんと毎月対談を開催。「お別れのあいさつ」撮影の裏側についても語っていました。
田中医師:「喪主あいさつは自分ですると。『俺が喪主や』じゃないですけど」
そこで明かされたのは、葬儀用とは別に、残される家族に向けたメッセージの存在。もう一つの動画に込めた思いとは…。
■気掛かりは「家族」 子どもたちへも動画
関本さん:「本日は誠にありがとうございました。また会いましょうね」
自身も末期がんと闘いながら、1000人ものがん患者を看取ってきた緩和ケア医の関本さん。
関本さん:「ただ一つ後悔というか、気掛かりなことがあるとすれば、残して行く『家族』のことでございます。特に、妻や子どもたちのことが気掛かりでございます。皆様におかれましては、これまでと同様に、妻や子どもをお誘い頂ければ幸いでございます」
自らの運命を受け入れ、死を覚悟した関本さんの唯一の気掛かりは、残していく家族のことでした。
関本さんは葬儀用のメッセージだけでなく、子どもたちが大人になった時のための動画を残しました。
関本さん:「最低限これだけはと思っていたVTRができたんで。かなり肩の荷が下りたというか、気持ちが楽になりました」
(「グッド!モーニング」2022年9月16日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
コメントを書く