記録的豪雨 生死を分けた区長の“避難先変更”住民救った判断(2022年8月5日)

記録的豪雨 生死を分けた区長の“避難先変更”住民救った判断(2022年8月5日)

記録的豪雨 生死を分けた区長の“避難先変更”住民救った判断(2022年8月5日)

 記録的豪雨から一夜、被害状況が明らかになってきました。新潟県村上市ではライフラインが寸断された状態が続いています。当時、区長の呼び掛けで急きょ、“避難先を変更”し多くの人が難を逃れていたことが分かりました。

 町をのみ込んだ川。少しずつ普段の姿に戻りつつあります。

 一転、暑さが戻った山形県大江町。3日22時ごろ、堤防を超えて町を襲った最上川。

 4日正午ごろから水は引き、川は落ち着きを取り戻しつつあります。

 ただ、生々しい傷跡は残されました。

 上空3万6000キロから見た衛星画像を見ると、いまだ川が濁っていて、海へ流れ出ているのが分かります。

 残された大量の土砂。県内の企業が仕事を休み、ボランティアで片付けを行っていました。

 ボランティア:「社員から協力したいという要望があり、きょうは現場を休みにして(大江町に)入った。お盆にはゆっくり過ごしてもらいたい」

 現在、山形県と岩手県で2人が行方不明となっています。

 2年前にも川が氾濫したここ大江町。幸い、人的被害は確認されていません。2年前の教訓が生きていました。

 住民:「前回(2年前)のことがあったので、早めに準備をして持ち出す物と家の3階に上げて置く物と…」

 記録的な雨となった新潟県村上市。売り物も、見る影もなくショーケースなどの機械も浸水しました。

 青果店店主:「全滅です。(損失は)500万くらいじゃないの。野菜果物。アイスもみんなだめ。アイスも前の日仕入れたのにさ、お盆になるから」

 各地で断水も続き、片付けも進みません。

 取材班が向かったのは、新潟県の小さな集落です。

 新潟県村上市にある小岩内地区。人口100ほどの小さな地区です。

 上空から見ると、山を背に、前を荒川が流れているのが分かります。

 山裾に、のどかな田園風景が広がっていた小さな集落。どこにでもある田舎の景色は一変しました。

 流木やがれきが押し寄せた小岩内地区。家は跡形もなく、車もこの状態です。この地区では土砂崩れが家に流れ込み、1人が重傷となっています。

 5日昼の時点でも、停電と断水が続いていました。

 小岩内地区・松本佐一区長:「水もストップして電気もきていない」

 ただ、この状況にも関わらず、死者は出ませんでした。

 人々は口をそろえて“ある避難指示”のことを明かしました。

 地区の住民:「『みんな危ないから上がろう』と」「(Q.避難してよかった?)はい、そうです。命だけでも助かりました」

 生死を分けた判断を下した人物がいました。

 小岩内地区・松本佐一区長:「今思えば早く避難してよかったなと、亡くなった方もいないし行方不明もいない、それが安心しています」

 3日夜から強まった雨。小岩内地区がある新潟県村上市では24時間雨量で観測史上1位の雨を記録。

 レーダーで見ると、線状降水帯が新潟県にも発生しました。

 小岩内地区で撮られた映像でも、雨が地面を川のように流れている様子が映し出されていました。

 小岩内地区・松本佐一区長:「午後11時ごろになったら半端じゃないくらい雷がすごくて、ものすごい雨」

 3日午後11時ごろに強まった雨。区長は役員総出で住民に避難を呼び掛けます。

 地区の住民:「区長から『危ないから上に上がろう』と避難呼び掛けがあった。消防団が集まって各家を回って避難指示が出ていたから」

 小岩内地区・松本佐一区長:「消防団との話し合いで避難市の情報も入り『避難しなければならないな』と」

 最初に目指したのは、地区にある公民館です。ここまでは、通常の避難と変わりません。

 ただ、区長はさらなる危険を感じていました。

 小岩内地区・松本佐一区長:「午後11時ごろになったら危険を感じたから、ここ(公民館)では危ないから、高台に避難しようと」

 公民館でも危険を感じた区長。避難先を変える判断を下します。

 公民館から直線距離で150メートルほどの高台にある住宅街を目指し、避難を促しました。

 小岩内地区・松本佐一区長:「絶対に外に出ないように消防の方全員に連絡して、『朝方明るくなるまでここ(高台)にいろ』と」

 その判断が多くの命を救ったかもしれない結果となりました。

 大雨の前の写真です。一階建ての公民館は…。

 公民館そのものは、何とか倒壊を免れましたが、周囲には倒木や家屋が流され、一つ間違えば大きな危険につながった可能性もあります。

 地域住民:「良かったと思う。命だけでも助かったんで」

 小岩内地区・松本佐一区長:「もう少し我慢して遅ければ犠牲者も出たと思う。亡くなった方もいたと思う」

 その判断の基となった55年前の記憶があります。

 小岩内地区・松本佐一区長:「8.28の水害があったのが私が中学の時で、はっきり覚えているので」

 川を前に立ち尽くす人。55年前、今回と同じように新潟・山形・福島を襲った大雨の様子です。およそ3万戸が流失・浸水し、少なくとも104人が死亡しました。

 半世紀以上経った今も、人々の記憶に刻まれていました。

 地域住民:「昭和42年8.28水害の時も1回流されて」「うちの姉のひとが亡くなった。ここで鉄砲水で流された」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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