「将来への道は自分で開く」ウクライナから広島に避難した姉妹 戦争が続く祖国へ帰国を決断【news23】|TBS NEWS DIG
1年前、ウクライナから広島に避難してきた姉妹。まだ戦争が続く祖国に戻ることを決め、つい先日、日本を発ちました。自分たちの将来の夢に向けて歩みを進めるため行った決断。日本で過ごした1年を取材しました。
■ウクライナに帰国 姉妹の決断
ウクライナから広島市に避難していたファジリャ・ボロジナさんと妹のマリアさんです。この日、1年間滞在した広島を離れます。ふるさとに帰国するためです。
ファジリャさん
「嬉しいのと悲しいのと半分ずつ。嬉しいのは友達が見送りに来てくれているから。悲しいのは広島を離れなければならないから」
手には、ウクライナから持ってきた大切なぬいぐるみ。冠は、仲良くなった子どもからのプレゼントです。
2人が広島に来たのは、2022年の秋でした。ウクライナの首都・キーウを拠点に働く母・エディエさんと離れ、それまでゆかりのなかった広島での生活を姉妹で乗り越えてきました。
ふるさとに帰りたい気持ちが募る一方で、心の傷も抱えていました。
ファジリャさん
ーー原爆資料館を見学するのはどう?
「今は難しいかな。ほぼ毎日、ウクライナ関連のニュースで被害を受けた町の写真を見るけど怖い」
姉妹は平和公園には、何度も訪れていましたが「戦争の傷跡を直視できない」と原爆資料館には入れないままでした。
7月。2人にとって嬉しい出来事がありました。母のエディエさんが仕事の休暇の合間に日本にやってきたのです。エディエさんの姿が見えると…
約1年ぶりの再開。お互いの身を案じながら過ごした、長い1年でした。
ファジリャさん「お母さんです!」
エディエさん「娘たちをサポートしてくれてありがとう。支援してくれた人の話は、たくさん聞いていました」
2人がウクライナで経験した戦争についてエディエさんが話してくれました。
エディエさん
「あの時は、どれだけ戦争が恐ろしいことか全く想像もしませんでした」
昼夜問わず鳴る空襲警報。そのたびに3人で地下鉄の駅などに駆け込み、しばらく経ってから家に戻る日々を送っていると、ある日、ファジリャさんが精神的な疲れから「もうどこにも行かない」と言いました。
エディエさん
「生き残れば、おばあちゃんと幸せに過ごすことができます。もし、死ぬことになったら3か月前に亡くなった大好きなおじいさんと会えます。だから、もうこれ以上、避難場所には行かないと決断しました」
「2人を守るために母としてどう動くべきか」。エディエさんの中で、毎日のように葛藤が続きました。ある日、ファジリャさんが自宅で転倒し、足に大けがをします。「万が一のとき、娘を背負って逃げることはできない」。その時、ちょうど連絡をくれた広島の友人を頼って、姉妹を日本に避難させることを決めました。
エディエさん
「ファジリャは戦争が始まってから毎日『私の将来はどうなるの?お母さん、どう思う?』といろんな言い方で同じことを聞き続けていました」
広島で過ごす間、19歳と20歳の2人にとっては、将来が描けないことが、何より不安なことでした。
エディエさん
「2人はキーウに戻っても電気やガス、お湯がないかもしれないことは全く怖がっていません。それよりも自分の将来のことを特に不安に思っていました」
自分たちの将来に向けて歩みを進めるため、2人は母・エディエさんの帰国に合わせて、ふるさとに帰ることを決断しました。
■母・エディエさん「日本に送り出した決断は間違っていなかった」
ファジリャさん
「世界の状況は変えられないけど、自分の人生は変えられる。自分たちの将来、明るい将来への道を自分で進めることができます」
帰国後、ファジリャさんは、これまでオンラインで通っていたキーウの大学に通い建築を学びます。マリアさんは料理を学ぶためスイスの大学へ進学します。
ファジリャさん
「大学の雰囲気を感じたい。たくさんの人が大学は人生の中で、本当に楽しい時間だったと言うから」
マリアさん
「将来、私たちが料理や建築で世界の国、特にウクライナで貢献できたらいいなと思う」
ファジリャさん
「きっと妹は自分のレストランをオープンさせて、それがすごくいいレストランで、いろんな国の人が、そのレストランに訪れるかもしれなくて、そうすれば、その人たちがウクライナを回ることになって、すごくきれいな国だと感じてくれるかもしれないし」
ーー「美味しい料理を食べて人を幸せにするのね」
家族が戻るのは、まだ戦争が終わっていないふるさとです。
ファジリャさん
ーー怖くない?
(うなずく)
母のエディエさんは、2人の姿を見ると「日本に送り出した決断は間違っていなかった」と話しました。
3人は、エディエさんの仕事の都合で東ヨーロッパで過ごしたあと、10月20日にキーウの自宅に帰ります。
■戦争続く祖国へ帰国 約1年取材をした記者は「来日してすぐの頃は、不安ばかりを口にしていた」
山本恵里伽キャスター:
19歳と20歳という、まだあどけなさが残る2人ですが、お姉さんの話の中で「世界の状況は変えられないけど自分の人生は変えられる」という言葉。ここか…(https://newsdig.tbs.co.jp/list/article?id=jnn-20231007-6113882)
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