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【関東大震災100年】107歳母が娘に伝えた「火災旋風」 娘が語る“4万人死亡の地”(2023年8月28日)
9月1日で関東大震災から100年を迎えます。「首都直下地震」発生の可能性も指摘されるなか、100年前の教訓から私たちが学ぶべきことは。シリーズでお伝えしていきます。28日のテーマは火災です。関東大震災では犠牲者の大半が火災によるものでした。炎を伴う竜巻から生き延びた107歳の女性の体験を、娘が詳細に語りました。
107歳の母の体験を語る飯田征子さん(79):「『こうだった』と言っていました」
関東大震災では10万人あまりの犠牲者のうち、火災の死者がおよそ9割を占めます。
東京都内や横浜市では「火災旋風」という炎を伴う竜巻も相次ぎました。
最も被害が大きかったのは墨田区の当時の陸軍の「被服廠跡」、現在の都立横網町公園で、揺れの後に家財道具などを持って避難してきた人が殺到してしまったため、およそ4万人の死者が出ました。
その現場の惨状がテレビ朝日にアーカイブ映像として残されていました。
建物の中は黒々として、一部からは空が見えています。
ウマや自転車、多くの人が黒い姿で地面にふせたまま倒れています。
煙の立ち上るなかを歩く人もいて、がれきの中で誰かを探したり整理に追われたりするような様子がみられます。
この公園で4人の家族を亡くしながら生き延びたのが、市川ふみ子さんです。
墨田区で生まれ育ち、現在107歳となりました。
ふみ子さんはかつて、娘の征子さんに「今でもきのうのように思い出してしまう」と、壮絶な体験を明かしていました。
飯田征子さん:「(Q.火の感じなどを話していた?)ただ『怖い』と。すごい、わーっと火事があり、七輪が飛んでいたり、荷車が飛んでいたり…。自分も飛ばされて落ちたところにたまたま水たまりがあって(助かった)。もし水たまりがなかったら、やけどで助からなかったかも。それだけ(多くの)亡くなった人がいて、『ごめんなさい。ごめんなさい』と歩いたそう、人の上を」
家族7人で逃げ込んだふみ子さんは、火災によって祖母と3人のきょうだいをなくしました。
混乱の中で多くの犠牲者が出る様子も克明に話していたといいます。
飯田征子さん:「『丸まげ』の女の人が昔はいて、(頭に)火がついたまま走っていたらしい。その後どうなったか分からないと。“びんづけ油”をつけていて、よく燃えて…。おばあちゃん(ふみ子さんの母)の背中にきょうだいがいて、背中で亡くなったそう。誰かに『背中の赤ちゃん死んでるよ』といわれ、(ふみ子さんらは)その場に置き避難した。『後で思うと可哀想だった』と言っています」
ふみ子さんは数年前に入院し、現在は寝たきりで、自ら話すのは難しい状況です。
征子さんにとって、元気だった時は災害に対して長年備えを続けていた様子が目に焼き付いています。
母に代わって取材に応じた征子さんは、語り部はできないと話す一方、悲惨な体験が忘れられてもいけないと葛藤する思いがあり、「今後もあり得ると思って多くの人に火災の危険を知ってもらいたい」と訴えました。
飯田征子さん:「『あんなつらいことは、私だけでたくさんだわ』と。私(たち次世代)には『つらい思いをさせたくない』と言っていた。こういうことはないとは限らない。“あり得ること”だから…」
政府の中央防災会議の報告書によりますと、震災当日の午後に都心の千代田区大手町の風は秒速15メートル前後で、夏の東京では「月に1度程度しか吹かないほどの強い風」でした。
防災に詳しい東京大学の廣井悠教授は2016年の新潟県糸魚川市の大規模火災を例に挙げ、「現代でも風などの条件次第で住宅街が広く燃えたり、地震なら高層ビルに延焼する可能性もある」と、防火対策や初期消火の重要性を指摘しています。 (C) CABLE NEWS NETWORK 2023
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