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亀井静香氏が語る戦争体験 岸田総理に“注文”「モスクワに乗り込んで、プーチンに」(2023年8月15日)
自らが目にした原爆投下の瞬間を語る、亀井静香元金融担当大臣(86)。戦争を体験した世代が減っていくなかで、日本の安全保障問題に対して、警鐘を鳴らしてきた一人だ。
■8歳の時に目撃「ピカーーッと光ってデーーンと地響き」
亀井氏:「今でも覚えていますよ。ピカーーッと光って。そうしたらね、デーーンと地響き。地平線の向こうに、きのこ雲がもくもくと上がった。あれは忘れることはできないね」
その亀井氏は今、同じ広島県出身の岸田文雄総理大臣に対し、リーダーとしてやるべきことをこう突きつけた。
亀井氏:「現に戦争してるんだよ。それをね『やめろ』と。そういうことをなぜ岸田総理はやらない」
1945年8月6日、午前8時15分。広島の街は一瞬のうちに炎に包まれ、破壊された。その瞬間を広島市から80キロほど離れた地元・庄原市で目撃していたのが、当時8歳の亀井氏だ。
亀井氏:「(当時)小学校3年生でした。高台にある私の庄原の小学校は、校庭をイモ畑にしてイモを作っていた。(当時)私は小学3年生だけど、8時すぎにね、一生懸命手入れをしていた畑を。校庭を畑にしていたんだから。当時は食料がないでしょう。そういうことをしていた時に、今でも覚えていますよ。ピカーーッと光って。そうしたらね、デーーンと地響き。そして、地平線の向こうに、きのこ雲がもくもくと上がった。あれは忘れることはできないね。そうしていたら、焼けただれた、被害に遭った人たちが、どんどん逃げてきて、こちらに来られた。もう戦争はいかんね」
■被爆の姉が残した句「白血球 測る晩夏の 渇きかな」
自宅は爆心地から離れていたはずなのに、家族が被爆した。
亀井氏:「私の姉も近くの女学校に(通って)いたんだけど、原爆投下の後、整理するために、直後に(市内に)入ったんだよ。そうしたら、第二次被爆に遭っちゃった。白血球が減ったりして」
一番上の姉は、原爆投下後の広島市内に入ったことで被爆した。後に、俳句雑誌を主宰した出井知恵子さんだ。
亀井氏:「自らのそういう状況を、俳句雑誌を主宰していて、句に残してますね。『白血球 測る晩夏の 渇きかな』」
知恵子さんは、57歳の時に白血病で亡くなっている。
終戦を迎え4年後、広島市内の中学校に進んだ亀井氏だが、そこでも原爆の恐ろしい爪痕を目の当たりにする。
亀井氏:「昭和24、25年。その時は広島市内のビルに、“人の影”がたくさん残っていた」「(Q.焼き付いていた?)たくさん」
■亀井氏が岸田総理に“注文”「プーチンに直談判を」
亀井氏はいつしか政治家を志し、1979年の衆院選で初当選し、連続当選13回。その政治活動では、戦争ほど残虐なことはないとする姿勢を貫いてきた。
2015年、安倍政権下で、集団的自衛権の行使を容認する安保法制の改正が進められた際には、強い反対の立場を表明した。
そして亀井氏が今、危機感を抱いているのが、ロシアによるウクライナ侵攻だ。
亀井氏:「プーチンは核兵器を使うかもしれないということまで言っているでしょう。今、ギリギリのところまで来ているということを、我々は自覚しないといけませんね」
そして、同じ広島県出身の岸田総理に対しては、次のように話す。
亀井氏:「岸田総理のやることは、モスクワに乗り込んでいって、プーチンに今やっていることをやめなさいと。プーチンに直談判をなんでしないの、岸田総理は。それが、今の日本の世界に置かれた立場の中でやるべきことなんだ」
亀井氏は、「一国のリーダーは、何があろうと戦争へのかじを切ってはならない」と力説した。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2023年8月15日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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