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「参院のドン」青木幹雄氏が死去 政界引退後も強い影響力 89歳(2023年6月12日)
小渕政権時の官房長官や、自民党の参院議員会長などを歴任した青木幹雄氏が亡くなりました。89歳でした。「参院のドン」とも呼ばれた大物政治家の訃報に永田町からしのぶ声が上がっています。
■青木幹雄氏が死去 小渕内閣で官房長官
青木幹雄官房長官(当時):「総理の病状、検査の結果について申し上げます。病名は脳梗塞(こうそく)であります」
時の総理大臣が倒れるという一大事。その時、官房長官を務めていたのが青木幹雄さんでした。あの、平成の元号を掲げた小渕総理の内閣。
青木幹雄官房長官(当時):「(Q.現在は昏睡(こんすい)状態に?)あの…集中治療室に入っておりますので、この場で申し上げる状態ではない」
総理の病状について、厳しい質問を投げ掛ける記者との攻防が続きます。
青木幹雄官房長官(当時):「(Q.現在、総理の意識は?)そこまでは確認していない。一切病院にお任せしている」
この時、青木氏は…。
青木幹雄官房長官(当時):「本日9時、内閣法第9条に基づき、私が内閣総理大臣臨時代理の指定を受けました」
戦後3人目の「総理大臣臨時代理」という立場に。ところが、就任の経緯が不透明だと批判が噴出。さらに、後継の決め方についても批判が。
小渕総理の後継総裁は、当時、自民党幹事長だった森喜朗氏ら5人の会談で決めたとされています。
青木幹雄官房長官(当時):「ご指摘の4月2日における協議の場で、後継総裁の問題を話し合ったことは一切ございません」
長らく「参議院のドン」と呼ばれるなど、大きな影響力を発揮した青木氏。2003年の党総裁選挙では所属する橋本派の候補ではなく、当時の小泉総理大臣の再選を支持しました。
小泉純一郎総理大臣(当時):「心強いですね。青木さん自身、仲間との関係、難しい事情があったなかでね」
■「参院のドン」政界引退後も強い影響力
青木氏は、2010年に政界を引退。しかし、その後も強い影響力を保ち続けました。
青木幹雄官房長官(当時):「この文化パーティーに池田総務会長、亀井政調会長、野中幹事長代理とまさに三役がそろって」
この時、そう紹介された盟友・亀井静香氏が取材に応じました。
亀井静香元金融担当大臣:「(Q.亀井会長は闘うタイプの闘将?青木さんは和の政治家ですか?)私も和の政治家ですよ。(青木氏は)極めて日本的な出雲人」「(Q.小渕総理大臣が緊急入院されたとき)青木さんと私と4人で集まって『どうしようか』と緊急のことですよね。それでうまく仕上げていかれた」
自民党・小渕優子組織運動本部長:「父が内閣総理大臣の時には、本当に苦しい時を女房役として支えていただいた。父亡き後、青木先生は私にとって政治の世界の親代わりでもありました」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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