アマゾンで1歳含む子供4人だけで40日間生存 “奇跡の生還”の裏側は(2023年6月10日)
助け出された直後の子どもたち。1人はスマートフォンを見る余裕もあるようです。コロンビア南部のアマゾンの密林地帯で13歳、9歳、4歳、そして1歳に満たない赤ちゃんを含む、子ども4人が行方不明に。生き延びた期間は、なんと40日間。奇跡とも言える救出劇でした。
(救出された4人の祖父)
『やったよ!やったよ!』
(コロンビア ぺトロ大統領)
『彼らは自分たちの力で生きていたのです。歴史に残るサバイバルの例となりました』
どのようにして、子ども4人は奇跡の生還を果たしたのでしょうか?その状況がわかってきました。
5月1日の早朝、母親と子ども4人を乗せた小型機は、コロンビア南部の都市アララクアラから飛び立ちました。目的地はおよそ350キロ離れたサン・ホセ・デル・グアビアレという街です。しかし…
(操縦士)
『メーデー!メーデー!エンジンが故障しました。川を探してください。右側に川があります』
これを最後に小型機は消息を絶ちました。コロンビア政府は軍の特殊部隊を100人以上投入。さらに、現地の先住民70人以上も捜索に協力。10頭の救助犬も投入ましたが、悪天候やその地形などから捜索は難航しました。そして、2週間後、墜落した機体が発見されました。しかし、現場に到着すると、事態が大きく動きます。
(捜索隊の司令官)
『子どもたちは生きていると期待している。もし死亡していたら、遺体がその場で発見されたはずですから』
33歳の母親を含む大人3人は、死亡が確認されました。しかし、そこには、乗っていたはずの4人の子どもの姿がありませんでした。CNNによると、機内の座席位置は母親など大人3人が前方に座り、子ども3人は後方座席。生後11カ月の赤ちゃんは、母親の腕に抱かれていた可能性があるといいます。そして7人を乗せた小型機は、密林の木々に衝突。これによって、エンジンとプロペラが引き裂かれ、垂直に落下した可能性が高いといいます。
機体が発見される直前にも不可解なことが起きていました。およそ3キロ離れた場所で哺乳瓶が見つかっていたのです。さらに、パッションフルーツの殻も。子どもたちがまだ生きている可能性が高まります。
(捜索隊)
『レスリイ!レスリイ!』
13歳の長女・レスリイさんの名前を呼びながら、昼夜を問わず続けられた捜索。翌日以降も、枝や葉っぱで作られた即席のシェルターや、はさみ、ヘアゴムが見つかりました。この場所は救助犬が探し当てたと言います。
さらに、捜索隊が地面を見て、あることに気付きました。この部分、子どものものとみられる足跡です。墜落現場からおよそ3キロ離れた地点で、子どもたちが生きている可能性を示すものが次々と見つかりました。
(4人の祖父)
『今は助けを乞います。助けてください。今、この大変な困難な時にありがとうございます』
(4人の祖母の音声で呼びかけ)
『じっとしていて。今、助けに行くから』
祖母の声でも、その場を動かないよう、呼びかけていたと言います。それでも、子ども4人の発見には至りません。事故発生から1カ月後には、再び子どもサイズの足跡が見つかりました。その場所は墜落場所から北西におよそ3キロの地点。子ども達が移動している可能性を示すものです。
(捜索隊の司令官)
『もし(子供たちが)亡くなっているのであれば、私たちが簡単に見つけられるはずです』
そして、事故発生から40日が経過。無線に連絡が入ったと言います。
(無線)
『奇跡だ!』
捜索隊が子ども4人をついに発見。2人は両足を伸ばしたまま座っています。生後11カ月だったクリスティンちゃんは、左手で抱きかかえられながら、水筒の飲み物を口にしています。ジャングルで1歳の誕生日を迎えていました。発見の一報を聞き、家族は喜びを爆発させます。
(4人の祖父)
『この状況は、私たちを眠らせず、幸せにもさせず、話すこともできなかったので、私たちは幸せです』
(4人の祖母)
『神に感謝し、世界の人たちに感謝します。娘の骨を取り戻し、苦しみを乗り越えた今、私は孫たちを元気づけて、前に進ませたいと思います。今すぐ4人全員の孫を抱きしめたい』
今回の事故の背景もわかってきました。およそ60年にわたり、政府と反政府軍とで内戦が続いているコロンビア。現地メディアによりますと、父親は、反政府組織・コロンビア革命軍から脅迫を受けていて、家族とは離れて暮らしていたといいます。その父親から、突然、家族のもとに電話があり、「時間がない」「早く来い」と話したといいます。そのため、家族らは急いで「エアタクシー」として運航している小型機をチャーターし、父のもとへと向かったと現地メディアは報じています。さらにその小型機は、おととしにも墜落事故を起こしていたといい、その際の修理を、メーカーに相談せず、安い費用で済ませていて、安全に飛行するための必要な修理がなされていなかったといいます。
今回の“奇跡の生還”はアメリカでもトップニュースで伝えられました。
(米CNN)
『この時間は、アマゾンの熱帯雨林での驚くべき生還の物語から始めます』
赤ちゃんを含む4人の子どもはどのようにして40日間、生き延びたのでしょうか?海外では遭難した少年らが、食料もなく水だけで9日間生き延びたというケースがあります。2018年にはタイ北部のチェンライで、サッカーチームの少年12人と男性コーチが、洞窟を探検していた時に、大雨による増水で入口が塞がれ、中に閉じ込められました。2016年には北海道鹿部町で、7歳の男の子が水だけで6日間、生き延びました。
ジャングルにて子供たちだけで40日間、生き延びた奇跡。小児科医が注目した点は2つあります。
(西真岡こどもクリニック 仲島大輔 小児科医)
『水分補給が一つ大切。子どもの場合は脱水になりやすい。屋外で、栄養面、水分が不十分な状況で、この期間を生息するのは非常に難しい状況。特に1歳前の乳児がいたということで、脱水状態にあったというが、そのなかでも補給できていた状態だった。果物とか補給ができて栄養がとれていた』
そして、もう1つは「服装」です。
(西真岡こどもクリニック 仲島大輔 小児科医)
『写真を見る限り長袖長ズボンをはいていたので、虫に刺されたとなっているが、半ズボンではなく、他の感染の予防にはなっていた。乳児は感染症全般に重篤化しやすい。今回の発見地域のジャングルは、マラリアの感染症やデング熱の蚊に刺される感染症がある。今後、蚊に刺されたあとの潜伏期を経て、発熱とか頭痛とかが出てこないか見守る必要がある』
また長袖長ズボンを着用していたことにより、屋外での温度変化に対応できた可能性があるのではないかと話します。
いったい4人はどのように生き延びたのでしょうか。アマゾンを探検した経験もある関野吉晴さんに聞きました。
(探検家・医師 関野吉晴さん)
『5月初めに行方不明になってそれで最近見つかったってことは運がよかったですね。一番いい時期ですよ』
時期的に“運がよかった”といいます。
(探検家・医師 関野吉晴さん)
『四季がないわけです。雨季と乾季しかない。昼間は30度ぐらい上がるんですよ。雨季でも乾季でも。夜は冷える。15度ぐらいなんで。寝袋ないと寝られない』
気になるのは「飲み水」をどうやって確保したのか。
(探検家・医師 関野吉晴さん)
『水さえあればまた2週間は生き延びられるので、水だけでね。だから水が勝負だったわけですよね。人がいないとなると、きれいな水です。物で汚されてない。だから生水飲んでも大丈夫です』
遭難したということは、人がいないエリア、川の上流と考えられるので、水が汚染されておらず、生で飲むことができたのではないかと指摘します。そして生き延びることができた“最大の理由”があります。
Q4人の子どもはウイトト族だった
『じゃあ問題ないですよ!先住民でしょアマゾンの』
現地メディアによると、生還した子どもたちは、ジャングルで育つ先住民「ウイトト族」で、食べていいものが分かっていたといいます。特に13歳の長女・レスリイさんについては…
(現地メディア)
『食べてはいけない果物を把握していた。赤ちゃんの世話もできる』
(探検家・医師 関野吉晴さん)
『弓矢も作れますし、弓矢作ることができれば、狩りもできる。実は彼らは魚を取るにも弓を使います。家も簡単に建てられます』
先住民なら10歳であれば親離れし、生きていけると話します。食べ物についても…
(探検家・医師 関野吉晴さん)
『多分「山芋」だけでも生きていけると思います、40日だったら。見つけるのは簡単です。あとはヤシの「パルミート」を結構たんぱく質もあるし。彼らは虫も食べます。死んだヤシにカブトムシとかクワガタとかいろんな虫の幼虫がいるので。その芋虫ですね。これはたんぱく質20%、脂肪20%、牛肉に負けない栄養価なので飢え死にすることはありません』
サタデーステーション 6月10日OA (C) CABLE NEWS NETWORK 2023
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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