イチから分かるG7サミット 時代とともに議題と開催地どう変わった?GDPから見える求心力の低下とは?【サンデーモーニング】|TBS NEWS DIG

イチから分かるG7サミット 時代とともに議題と開催地どう変わった?GDPから見える求心力の低下とは?【サンデーモーニング】|TBS NEWS DIG

イチから分かるG7サミット 時代とともに議題と開催地どう変わった?GDPから見える求心力の低下とは?【サンデーモーニング】|TBS NEWS DIG

ゼレンスキー大統領の電撃来日で俄然、注目度が高まったG7広島サミット。そもそものG7の起源とは?
G6やG8の時代もあり、その時々で変遷した議題とは?時の首相の思いで変わる開催地とは?
そして、各国の歴史的なGDP=国内総生産の変化から見えてきたのはG7の求心力の低下と、逆に影響力を増す中国、ロシア、インド。
手作り解説でお伝えします。

■過去にはロシアを含む「G8」も

そもそも「G7」とは、「G」はグループ、「7」は7か国を意味します。
写真には7か国の首脳と、EUの委員長と議長の2人をあわせ9人が並んでいます。この「グループオブセブン」の枠組みはどのようにしてできたのでしょうか?

1975年にフランスのランブイエで初めて開催され、参加したのはアメリカ、日本、西ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの6か国。
当時、旧ソ連を除くGDP=国内総生産の大きさで1位から6位までの国が集まった「G6」でした。そして翌年、カナダも加わり「G7」となります。冷戦が終結すると、1998年からロシアも加わり「G8」という時代もありましたが、ウクライナ領のクリミア半島を一方的に併合するなどしたため、2014年に参加資格が停止され、現在は「G7」となっています。
会議のテーマも時代とともに変わってきました。1975年の初開催のきっかけは、「オイルショック」でした。混乱した世界経済への対応を話し合い、石油の輸入量について国別に上限を設定することなどを決めたのです。
議長国は順番に回ってきますので、日本でも7、8年に一度開催され、1979年は「第二次オイルショック」、1986年は「チェルノブイリ原発事故」、1993年は冷戦終結とソ連崩壊を受け、核兵器の管理や、ロシアと東欧諸国への支援などが議論されました。

■日本、初開催は1979年

日本での開催地ですが、最初の3回はすべて東京の迎賓館でした。しかしその後は、その時々のトップの思い入れから、今回の広島につながる地方での開催が定着します。2000年は、当時の小渕総理が、米軍基地問題などへの思いから沖縄で開催。2008年は、第一次政権の安倍総理が『美しい国、日本』を世界に示すのにふさわしい、などとして、北海道の洞爺湖を選びましたが、開催時、安倍総理は辞任していたので、福田総理が出席しました。2016年は再び当時の安倍総理が、日本の文化・伝統を感じてもらいたいなどとして三重県の伊勢志摩で開催しています。

■中国政府「G7は小さなグループ」

さて、50年近くにわたって世界をリードすべく首脳会談を続けてきた「G7」ですが、求心力の低下は否めません。象徴的なのが、GDPですが、発足当初から2000年ごろまでは7か国だけで世界全体の6割以上を占めていましたが、現在は4割ほどまで後退。中でも日本は国民1人当たりのGDPで見た場合、2000年にはOECD各国の中で2位でしたが、今や20位にまで落ちています。
そんな中で、新たにできた枠組みが「G20」です。2008年、リーマン・ショックによる世界経済の混乱に対処するにはG7だけでは不十分とされたのです。G20ですと、そのGDPは、世界2位の中国、5位のインド、さらにロシアなどが入り、世界の8割を占めます。
中国政府は、今回の「G7」を前に、「G7のルールは西側の小さなグループのルールに過ぎない」などと対抗姿勢を鮮明にしています。
「G7」は民主主義陣営として世界をリードし続けていけるのか、広島で行われているサミットは、正念場を迎えています。
(「サンデーモーニング」2023年5月21日放送より)

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