【報ステ】手書きメモや身分証…戦死したロシア兵の遺留品をキーウで展示 その理由は(2023年2月9日)

【報ステ】手書きメモや身分証…戦死したロシア兵の遺留品をキーウで展示 その理由は(2023年2月9日)

【報ステ】手書きメモや身分証…戦死したロシア兵の遺留品をキーウで展示 その理由は(2023年2月9日)

この1年で、ウクライナ側もロシア側も、兵士の死傷者は、それぞれ10万人を超えるとみられています。

ウクライナ兵のパブロ・コバレンコさん(33)は、東部の激戦地・ルハンシク州で、右足を失いました。
パブロ・コバレンコさん:「ロシア軍の歩兵戦闘車『BMP-3の』砲弾が足に当たった。横に砲弾が落ちて爆発して、負傷した。(Q.答えにくいかもしれないが、戦場で何を失った)親友を失った。部隊は9人しか生き残れなかった。(Q.けがをしたことは勝利のためだと思うか)覚悟はできていた。今回は3回目の負傷だ。義足をつければ走れる。教官として軍に復帰したい。9年間の軍事経験をいかして、若い世代に戦地で生き残るため、論理的、実践的な戦術を教えたい」

一方、ウクライナに侵攻したロシア軍。
傍受されたロシア兵の通話:「『全員殺せ』と命令された。民間人や子ども関係なく『皆殺しにしろ』と。私たちは人数が足りない。いま、ウクライナ軍に囲まれている」

ロシア兵たちは、戦地で何を見て、何を思ったのか。それを知る手がかりが、キーウにあります。

本来は、第2次世界大戦の教訓を伝える国立博物館ですが、いまは“ロシアによる侵略”がテーマの特別展が開かれています。収容されているのは、ロシア軍が、キーウ近郊やハルキウ、ヘルソンなどに、侵略した際の遺留品です。
国立歴史博物館・サフチュク館長:「(Q.どれぐらいあるのか)去年2月24日からきょうまでに集めた約7500点です。この10カ月間、私たちは各地を回りました」

戦死したロシア軍兵士(36)の手帳には、死亡した仲間の名前が記されていました。博物館には、クレジットカードや、顔写真付きの身分証も展示されています。20代~30代の若い兵士ばかりす。

大越キャスター:「我々、ロシア兵という言葉でひとくくりにしてよく使いますけれども、当然のことながら、ロシアの兵士たちも人間であって、親であったり、子どもであったり、親しい人がいて、それぞれの生活があって、それぞれの名前があるわけです。身の回り品が、ここに収容されているということは、命を落としている可能性が高い。我々は、いまそれを目にしているわけです」

キーウ近郊で見つかったロシア兵の手記には、“苦悩”と“憤り”が、つづられています。
ロシア兵の手記:「訓練に行くつもりが戦争に巻き込まれてしまった。自分がウクライナにいることを受け入れていないし、戦争もいまだに信じていない。これは私たち市民ではなく、エリートが起こした戦争だ。彼らは、他人の人生、苦悩、家族、文化、人間らしさを気にもかけていない」

戦地には、電話番号が走り書きされたメモも残されていました。メモを記したのは、25歳のロシア兵で、去年3月にスナイパーとして戦闘中に死亡していました。『MAMA』と書かれた電話番号に連絡しました。母親の代わりに応対したのは、地方自治体の職員でした。
ロシア地方自治体職員:「(Q.キーウの博物館で電話番号を見つけました。誰の番号ですか)ウクライナで死亡した兵士の母親です。(Q.ロシア政府から説明はあった)彼は英雄として亡くなりました」

2カ月前に、ロシア兵の弟を亡くした女性も取材に応じました。アレクサンドルさんは、志願兵になる前は、牧場で働いていたといいます。去年12月、ルハンシク州で戦闘中に死亡しました。
ロシア兵の弟を亡くした遺族:「弟の息子はまだ2歳で(父の死を)理解できず、『パパは戦争に行っている』と言う。「娘たちは8歳と10歳で、棺おかの中の父親を見て、勉強が手につかない。父の死を受け入れることは大変なこと。(Q.弟を失って『特別軍事作戦』に対して思いは変わったか)変わらない。私たちの国を守らなければならない。プーチン大統領は絶対に正しいことをしたと信じている」

終わりの見えない戦争。その代償は、1人1人の命です。
大越キャスター:「ロシア兵は、現在、みなさんの敵ですが、それぞれ名前、人生、大事な人を持っています。ロシア兵が残した物を展示するのに抵抗はありませんでしたか」
国立歴史博物館・サフチュク館長:「今回の戦争で、一部の兵士はロシア政府の捨て駒です。しかし、ロシア軍は、ウクライナに何度もミサイルを撃ち込んできて、多くの民間人が殺されました」
国立歴史博物館・ヤンコベンコ学芸員:「ロシア軍が、この地でしたことを思い出しながら展示物を扱っています。ここにあるのは、私たちを殺しにきた占領者たちの持ち物にすぎません」

◆キーウの聖ミハイル黄金ドーム修道院から大越キャスター

キーウ市中心部の修道院の壁一面に張られているウクライナ兵の犠牲者の写真。こちらは1年前のロシアによる本格侵攻以降に亡くなった兵士の写真ですが、2022年の2月や3月といった侵攻初期に亡くなっ兵士が中心です。、ここから先は、壁には何も貼られていません。今も犠牲者が出ていることを考えると、壁に貼られる写真は、さらに増えていくだろうと想像するしかありません。いま、ここに貼られている写真は全部で約5000枚。しかし、2014年からの戦闘で亡くなった兵士の総数からすれば、ごく一部に過ぎないとみられます。

今回の取材では、私たちは何人かのウクライナ人男性と仕事をしました。取材先への約束の取り付けや、通訳をしてくれたり、非常に陽気でテキパキと仕事を片付けてくれました。しかし、時折、硬い表情になるときがあります。そのとき彼らは「自分もいつ戦場に呼ばれるかわからない。そのときは潔く戦場に行きますよ」と話していました。このように生と死は、ウクライナの人にとって、いつも隣り合わせなのです。

(Q.歴史博物館にあれだけ多くのロシア兵の遺品が整然と並べられているのを見ると、深く考えさせられますね)
人の命である以上、ウクライナの人であっても、ロシアの兵士であっても、かけがえのないものであることに変わりはありません。博物館には、まだ、あどけなささえ残る若いロシア兵のパスポート写真がありました。そして、「訓練のはずが、実際の戦争だとは思わなかった」という手記は、非常に几帳面な文字で書かれていました。その兵士の人柄や性格がにじみ出ているように見えました。そんな彼らが、恐らく人生の最期を迎えたであろう瞬間、どんなことを脳裏をよぎったのか。一体、どのような思いだったのか。そのことを想像すると、胸が詰まるような思いがします。

(Q.ロシア兵の遺品を、ウクライナの人々はどう受け止めているのでしょうか)
博物館の館長や学芸員に「こうした辛い展示をするというのは、気持ちのうえで、しんどくないですか」と聞きました。返ってきた答えに、ハッとさせられました。彼らは「決してそういうことではない」と答えました。私の質問は的外れだったようです。もちろん、人の生き死にかかわるものを収集し、展示しているわけですから、心の痛みを全く感じないはずがありません。しかし、彼らは、自分の役割というものを自覚していました。それは、感情を排して、事実をひたすら発掘し、収集し、記録して、保存するということです。その事実とは、戦争は、もっぱらウクライナの領土で行われているということです。占領された町もウクライナの町。犠牲となっている市民もウクライナ人であるということ。そうした事実です。

取材をしながら、命の重さをひしひしと感じながら、今まさに、現在進行形で起きているのは、「ロシアによる侵略」なのだということを、彼らの言葉によって、改めて認識させられました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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