ミャンマーのクーデターから2年 増え続ける重傷者…武装蜂起した若者たちの今 都市では“サイレント・ストライキ”|TBS NEWS DIG
ミャンマーのクーデターからきょうで2年。JNNは、武装蜂起した民主派勢力が抵抗を続ける辺境部に入り、戦いの場に身を置く若者らを取材しました。
タイとミャンマー国境地帯。ミャンマー軍と対立する民主派勢力が「現状を伝えたい」と、場所の詳細を明かさないことを条件に私たちの取材に応じました。
案内されたのは郊外にある民家の敷地。
支援者
「(彼は)頭を撃たれました」
左の頭部を大きく欠損した男性。笑顔を浮かべるまで回復しましたが、体はほとんど動かず、しゃべることもできません。
支援者
「この子は腹部を銃撃され、弾丸が体内に残ったままです。まだ歩くこともできません」
治療やリハビリの支援を受けているのは、軍に反発する若者らで結成されたPDF=国民防衛隊のメンバーたち。
軍との戦闘が激しさを増した1年ほど前から緊急治療を必要とする重傷者が続出し、共に闘う少数民族の武装勢力らの支援でタイ側の人目に付きにくい安全な場所で治療を受けています。
クーデター前は何をしていたか聞くと…
右手を失った男性
「大学卒業後はヤンゴンのレストランでシェフをしていました」
この男性(22)は、不発弾の処理中に爆発に巻き込まれ、右手を失いました。体にはまだ破片が残っています。
PDFを支援 国民民主連盟幹部
「彼らはミャンマーの希望です。軍のせいで彼らに障害が残るのは悲しいことです」
右手を失った男性
「(Q.後悔は?)命をかけて戦っている仲間を思えば、右手くらいなんでもない。ただ、母に伝えた時、母は泣きました。そのことは悲しかったです」
この絵を描いたのは戦闘で左目を失明した男性。たくさんの手形の中に、一人一人の思いや願いを描きました。小さな子どもの手形の中にはビーチで両親と手をつなぐ姿が。
左目失明の男性
「この避難民の女の子は、両親とビーチに遊びに行きたいと言っていました。でも、その子の両親は軍に殺されてもういないんです」
クーデターで人生が一変したミャンマーの若者や子どもたち。2年が経った今も苦しみは続いています。
こちらはタイの北西部です。目の前にある国境の川を越えた先がミャンマーですが、川沿いには軍の空爆から逃れてきた人々のキャンプがあります。
以前、取材したときと比べ、構造のしっかりした住居が増えた印象があります。居住環境が改善されたとみることもできますが、一方で、この避難生活が長期化していることも実感する光景となっています。
きょう、最大都市ヤンゴンなどではサイレント・ストライキが実施され、人通りがほとんどなくなりました。弾圧におびえながらも、人々は、「軍の支配を決して受け入れない」その覚悟を必死で示そうとしています。
今年実施される予定の総選挙について、きょう、軍は何らかの方針を示すとみられていますが、権力の維持を図るために理由をつけて選挙の延期を発表するのではないか、との見方もあります。
いずれにしても、軍の方針に国民が納得するとは考えにくく、混乱の収束は依然として見通せません。
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