【梨泰院事故】冨川芽生さんの棺が日本に 「助けて」通報急増も警察は連絡に2時間(2022年11月4日)
韓国・梨泰院の雑踏事故で発生当時、地元警察の幹部らが同僚と食事に行っていたり、無断で職場を離れていたことが新たに分かりました。「圧死する」など通報が相次いでいたその時間帯に責任者が不在でした。
冨川芽生さんの遺体を乗せた飛行機が4日午後2時すぎ、成田空港に到着しました。
3日、冨川さんの父親、歩さんは現場に残されたものを保管する体育館にいました。
冨川さんのノートの一部が残されていました。
冨川芽生さんの父親・歩さん:「娘のものです。ノート破けてる」
4日も遺留品センターには遺族の姿が。
34歳の息子を亡くしたという女性は、息子が当時履いていたという靴を見つけ…。
息子(34)が亡くなった母親:「無防備・無対策すぎます」
156人もの犠牲者を出した惨事に、責任を問う声は、日増しに大きくなっています。
20代から30代の若者が今回の犠牲者の大半となっていて、同世代の若者が抗議活動を行いました。
実は、この世代、8年前にセウォル号の事故で亡くなった、当時の高校生と同世代ということもあり、国に対する不信がさらに高まっている形です。
デモ参加者:「防ぐことができ、起きなかったかもしれないのに政府が何もしなかったせいで起きた事故だと思い責任を追及し、再び惨事が繰り返されないよう、行動を起こしました」
批判の矛先は、対策を怠っていた警察にも。
当時現場周辺にいた人:「今回はたくさん人が来るのを分かって備えるべき。なのに自分の持ち場を離れるなんて話にならない。その場にいた警察はすごく頑張っていたのに」
梨泰院(イテウォン)での惨事がここまで大きくなってしまった原因はどこにあるのでしょうか。
通報者:「人が(坂道)を下りることができないのにずっと押し寄せてくるから圧死しそうです」
事故が起こるおよそ4時間前から発せられていた、現場からの緊急通報。
韓国メディアによると、「圧死」の危険性を知らせる通報は事故発生前までで11件でしたが、午後10時15分の事故発生から午後11時までの45分の間には、緊急通報が87件に上っていました。
いずれも内容は「助けて」というものでした。
職員たちは必死に現場で対応しますが、韓国警察トップ、尹熙根(ユン・ヒグン)警察庁長官に事故が知らされたのは、発生からおよそ2時間後でした。
息子が亡くなった母親:「誰も動いてくれなかった。誰一人動いてくれなかった」
事故発生から、警察トップへ第一報が届くのに、なぜ2時間もかかったのか。
そこには2つの「不在」が大きく関係していたようです。
キャスター:「最初の通報を受けたソウル警察庁の担当者は事故発生時に状況室にいなかったことが判明しました」
複数の韓国メディアによると、事件当日、梨泰院を管轄する龍山(ヨンサン)警察署署長が事故発生前の午後9時前後から幹部らとともに食事に出掛け「不在」でした。
さらに食事に出掛けた幹部の中には、所轄内の警備を担当する警備課長らも含まれていて、現場付近に着いたのは、事件後の午前10時半ごろだったということです。
「不在」に関してはこれだけではありません。現場の龍山(ヨンサン)警察署にとっては本庁にあたる、ソウル警察庁の緊急通報の担当者、柳美真(リュ・ミジン)総警も持ち場を離れていて、事故を把握したのは、発生から1時間半後の午後11時40分ごろでした。
政府の会見:「特に龍山警察署署長とソウル市警察庁の状況管理体制と遅延部分について一部監察で問題点があることが確認されました。その部分について昨日、直ちに監察から特別捜査本部に捜査を転換して捜査される予定です」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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