「上野レトロ」震災の炎から立ち上がり、戦災をくぐり抜けてきた街の戦後 1967年(2022年10月28日)

「上野レトロ」震災の炎から立ち上がり、戦災をくぐり抜けてきた街の戦後 1967年(2022年10月28日)

「上野レトロ」震災の炎から立ち上がり、戦災をくぐり抜けてきた街の戦後 1967年(2022年10月28日)

1967年、昭和42年8月の上野上空です。
上野の山から上野広小路、そして上野駅へと進んでいきます。

まだ歩道橋も首都高速もなく、正面口の前がすっきりしています。
駅の入口が2段になっているのがわかります。
ヘリコプターは浅草のほうへ進みます。
真ん中が台東区役所、その右が区立下谷小学校です。
関東大震災の後に「復興小学校」として建てられた
鉄筋コンクリート造りの学校です。
1990年に清島小学校と統合して移転しました。
残された校舎は、2022年になって取り壊しが決まりました。
隣の台東区役所はこの6年後に建て替えられました。

そして上野警察署。
上から見てもなかなか味のあるこの建物、1929年の建築で、戦災も乗り越えましたが、1975年に建て替えられました。
さらに今後、下谷小の跡地に新築移転することが決まっています。

画面右に同潤会上野下アパートが見えます。
カメラが寄っていたのは永昌寺。
嘉納治五郎が1882年に最初の講道館を開いた場所、いわば「柔道」発祥の地です。
上野下アパートは、数ある同潤会アパートのなかでも、最後まで残っていましたが、
2013年に取り壊されました。

神田川の左衛門橋から続いてきた通りで旋回します。

画面奥に区立清島小学校が見えます。

カメラは源空寺の墓地に寄っていきます。
伊能忠敬や幡随院長兵衛や隅田川七福神の回に触れた、画家の谷文晁の墓もあります。

ふたたび清島小学校です。
こちらも関東大震災後に鉄筋コンクリート造りで建て替えられた小学校です。
プールをよく見ると、校庭に引かれたトラックのラインに、かぶせるように作られています。
夏の間だけの仮設プールだったのでしょうか。
1990年にさきほどの下谷小学校と統合されたのち、この場所に上野小学校として生まれ変わりました。
元々下谷区立、この清島小学校は浅草区立でした。

ヘリはかっぱ橋 本通りを西へ飛びます。

上野学園の校舎の向こうに、地下鉄銀座線の上野検車区です。
左上に車両が見えます。道路を渡るため、地下鉄には珍しい踏切があります。

今度は北へ進んで、入谷の五差路です。

この2年後、首都高速1号線がこの交差点の際まで伸びてきます。
この三角地帯には歩道橋の上り口ができました。

区立坂本小学校です。
こちらは復興小学校に準ずる改築小学校とされています。
1996年に大正小学校に統合されました。
今年、2022年に解体されました。

隣が「恐れ入谷の」と知られる鬼子母神です。
お寺の名前は真源寺、毎年、7月の初めに開かれる朝顔市でも有名ですが、新型コロナウィルスの影響で、2020年から3年連続で中止になっています。
2023年には開かれるといいですね。
そのまま言問通りを進んで、交差点で南へ。
電車通りを進みます。
都電がみえた脇の真っ白な屋根は下谷郵便局、今は上野郵便局です。
上野駅の構内に入ってきました。
寛永寺ゆかりの両大師橋が見えてきました。

去年、2021年10月の上野駅正面口です。
2段になっているうち、利用客の出入口がある上の段からは車道が取り払われ、歩行者専用になりました。
その前面に1991年、ジュエリーブリッジと呼ばれる大掛かりな歩道橋、ペデストリアンデッキが作られました。
画面左下には首都高速1号線も通っています。
右側には2000年完成のパンダ橋が架かり、上野公園との間の自由通路になっています。
さらにその右には駅舎の上に有料駐車場も作られました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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