1971年 「安田講堂とタテカン」東大の新しい日常(2022年5月13日)

1971年 「安田講堂とタテカン」東大の新しい日常(2022年5月13日)

1971年 「安田講堂とタテカン」東大の新しい日常(2022年5月13日)

1971年、昭和46年4月の文京区本郷です。
画面奥に広がるのが東京大学です。

カメラが寄っていったのが、赤門。

江戸時代、加賀藩前田家の上屋敷の御守殿門が、場所もそのままに引き継がれています。

「タテカン」、立て看板が4枚見えます。
安田講堂攻防戦を経て東大紛争が収束してから、すでに2年以上が経っていますが、このあともしばらくは、これが日常の風景でした。

カメラは三四郎池を捉えます。奥には安田講堂が見えます。

瓦屋根は七徳堂です。武道場です。

グラウンドの奥が山上会議所です。
1986年に建て替えられ、山上会館に生まれ変わりました。

三四郎池です。
夏目漱石の「三四郎」の舞台になったのが由来ですが、正式には「育徳園」の中にある心字池ということになります。

鳥が一斉に飛び立っていきました。
この時季だとカルガモでしょうか、ほかの鳥でしょうか。

今は人工芝の御殿下グラウンドを越えて、医学部附属病院です。

ヘリは安田講堂のうしろ側を通って弥生門を見ながら、いったんキャンパスを離れます。

と、右下から現れたのが、今の弥生キャンパスです。
本部キャンパスとの間を通るのが、言問通り。
キャンパスをつなぐ陸橋が見えます。

本郷通りとの交差点です。
画面左下隅に農学部の正門が見えます。
今、このすぐそばに地下鉄東大前駅がありますが、この撮影の6年前までは、目黒区に東大前という駅がありました。

本郷通りを見ながら、南に進みます。

東京大学の正門です。奥に安田講堂が見えます。
正門ではけっこうな数の車が出たり入ったりしているのが見えます。

安田講堂です。
東大紛争の象徴とも言える安田講堂ですが、2年たって一見きれいに見えます。
が、内部は荒れ放題で、全面的に改修がなったのは、時代も平成に変わった1990年のことでした。
撮影のときには少しずつ改修が進められている時期のはずですが、映像で見るかぎり、正面入口は閉鎖されているように見えます。

サッカーのキックオフ直前?の御殿下グラウンドと医学部附属病院の間の道路は、一般車も入ってこられる公道に準じた道路ですが、よく見ると、横断歩道が当時の標準的なものとは違う、古いデザインのままです。
気になったら、赤門前の本郷通りのものと比べてみてください。

========

今年2022年1月の本部キャンパスです。
50年前に比べて緑が大きく成長しています。

北から捉えた弥生キャンパスです。
本郷通りの横断歩道に寄っていきます。

さらにデザインが変わっています。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

ANNnewsCHカテゴリの最新記事