藤子不二雄Aさん死去 漫画界の“巨匠”がまた一人・・・(2022年4月7日)
「忍者ハットリくん」や「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」など数多くの人気作品を世に送り出した漫画家の藤子不二雄Aさんが亡くなりました。88歳でした。
7日午前8時40分ごろ、神奈川県川崎市にある自宅から通報があり、警察官が駆け付けると、藤子不二雄Aさんが亡くなっているのが見つかったということです。
詳しい死因は分かっていませんが、警察は念のため自宅の状況などを調べています。
藤子不二雄Aさん(当時87歳):「(手塚治虫)先生は手伝いの人が描いたやつは必ず直す。これだけは唯一直していない。それが僕の誇り。(手塚)先生が認めてくれた」
ちょうど1年前、手塚治虫さんなど、昭和を代表する漫画家たちとともに暮らした聖地「トキワ荘」を再現した企画で笑顔を見せていました。
藤子不二雄Aさん(当時87歳):「(手塚治虫さんたちを)見るに見かねて、『ちょっと手伝いましょうか』と言ったら、『やってくれる?』とおっしゃったので『喜んで』と。それから何かあると先生はさすがに言わないけど、編集者から電話が掛かってきて『安孫子君(本名)ちょっと手伝って』と言われて。何回も通ってお手伝いして。日本のマンガのアシスタント第1号が僕。これを非常に今でも自慢にしている」
藤子不二雄Aさん、本名・我孫子素雄さんは1934年富山県氷見市生まれ。寺の住職の子として育ち、のちにコンビを組む藤本弘さんと転校先の小学校で知り合ったと言います。
漫画家を目指して上京し、「藤子不二雄」の共同ペンネームを使い、二人三脚で創作。
藤子不二雄Aさん(当時62歳):「マンガは昔は子どものおやつという時代があったんですけど、子どもたちの心が癒やされる。とても大きな夢をドラえもんが持っている」
今や日本の文化を代表する「マンガ」。その礎を築いた存在の一人が藤子不二雄Aさんです。
2005年には、これまでの功績をたたえ、日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。2008年に旭日小綬章を受章しています。
自宅周辺では、訃報を聞いた地域の人やファンから、感謝と悲しみの声が上がっています。
ファン:「子どものころはそれ(藤子不二雄のマンガ)を見て育った。ストーリーそのものが面白かった。シリアスな漫画も多かったので、子どものころに思わず読んでて、のめり込んだ。一つの時代が終わったんだなと」
※Aは丸の中にA
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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