原発事故で避難 「準備宿泊」開始の福島・双葉町は今
東日本大震災からまもなく11年。今年も被災地の今を見つめる「つなぐ、つながる」プロジェクトを展開します。福島の原発事故によって全域での避難が続く双葉町。今年に入り、ようやく一部の地域で避難指示の解除を見越して「準備宿泊」という制度が始まりました。町は今、帰れる場所になっているのでしょうか?
午後6時前、乗客を一人も乗せず走り出す路線バス。人気のない駅前の暗闇に浮かび上がる電光掲示は放射線量です。日本の平均的な数値の6倍ほどの高さですが、除染によって避難指示解除の目安は十分下回っています。原発事故によって帰還困難区域となった双葉町は今年6月に、一部で避難指示が解除される予定。
帰還に向けた準備をするために町内の自宅などに寝泊まりできる「準備宿泊」が始まりました。原発事故以来、町内に宿泊できるのはこれが初めてです。
帰還目指し「準備宿泊」 細沢 靖さん(77)
「『双葉に行きたいんだ』と『帰りたいんだ』と。双葉に戻れるなら放射能なんて高くたって構わないと思っていた」
線量計を手に故郷に戻る意気込みを語った細沢靖さん。しかし放射能とは別の問題に直面していました。
帰還目指し「準備宿泊」 細沢 靖さん(77)
「周りなんて誰もいない。いざ戻って来てみれば最悪だな。人がもっと帰って来るようなイメージを描いてた、これが見事に外れてな」
細沢さんのように「準備宿泊」を申請したのは26人だけ。どうして住民は戻って来ていないのでしょうか。
埼玉に避難している元住民 吉田俊秀さん・岑子さん
「この横断歩道あたりが自宅だった。帰らないね、ここにはね。住むのは違うかなって感じています」
双葉町に戻ることをあきらめた吉田さん夫妻。自宅があった場所は新しい道路となり、1年前、「復興五輪」の聖火が駆け抜けました。
埼玉に避難している元住民 吉田俊秀さん
「聖火リレーはこの辺(駅周辺)だけぐるぐるぐるぐる回ってさ・・・。東京オリンピックが決まった時に反対ではないけど賛成できなかった。まだ我々の復興が先でしょうと・・・」
窪小谷菜月記者
「双葉駅前はきれいに整備が進んでいるのですが、1本道を入るとこのような景色が広がっています」
真新しい駅の裏手に広がるのは住宅が取り壊された後の更地。食料品店やガソリンスタンド、消防の建物は時間が止まったままです。
埼玉に避難している元住民 吉田岑子さん
「この辺もにぎやかだったんだけど一瞬にして、悲しいね・・・時が止まったんだもん」
総合病院の前はお店が立ち並ぶ通りでした。今は薬局の建物が残るだけ。軒を連ねていた釣具店や時計店、ケーキ屋さんはもうありません。
埼玉に避難している元住民 吉田俊秀さん・岑子さん
「ここからケーキを買ってお見舞いに行ったり。誕生日とか孫たちを連れてしょっちゅう買いに来ていました」
常連だったお寿司屋さんの建物は残っていましたが・・・
埼玉に避難している元住民 吉田俊秀さん・岑子さん
「こういう姿見るとがっかりするよね。マグロも板さんはぶ厚く切ってくれるわけ、うちの孫は大好きだからね」
インフラもコミュニティも失われた街に戻るのは現実的ではないという吉田さん。双葉に戻るつもりで「準備宿泊」を始めた細沢さんも葛藤しています。
帰還目指し「準備宿泊」 細沢 靖さん(77)
「もう引っ越すかもしれない。何にもない、商店もなければ・・・何にもない。昨日は医者さ、原町(南相馬市)まで行ってきた」
食料を調達するにも持病の薬をもらうにも、車で町外まで行かなければなりません。
帰還目指し「準備宿泊」 細沢 靖さん(77)
「最後はやっぱり双葉で死ぬしかないと思っていた。今度はこれが薄れてきた」
双葉町の避難指示解除を前に行われた国の調査では、町民の6割が帰還をあきらめています。原発事故から11年。一部の除染が進んでも、故郷や暮らしが戻ることはない現実が突き付けられています。
(07日15:48)
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