「住んだの1週間」娘夫婦の新築住宅を津波が襲う 娘は臨月…父が涙「どこへ帰れば」【もっと知りたい!】【グッド!モーニング】(2024年1月11日)
能登半島地震の死者が206人に上っています。この中の8人が、災害関連死であることが分かりました。
■高台から“津波”を捉えた映像「やっぱり痛いわね、心」
41人の安否不明者がいる輪島市。朝市通りでは、大雨警報が出るなか、大規模捜索が行われました。
消防隊員
「声掛けあって活動してください」
石川県内の死者数は206人、52人の安否が分かっていません。
震度6強を観測した珠洲市。倒壊した住宅もいまだ、手つかずの状態です。
地震直後、津波に襲われた街には、津波で押し流されたと見られる家財道具などが多く残っています。そして、車が津波によって押し流されたのでしょうか、岩に乗り上げるような形になっています。
高台から津波の瞬間を捉えた映像です。撮影したのは、この家に住む舟木茂則さん(68)です。
舟木さん
「室外機が、室外機が埋まるという、室外機があれです。そこまで上がってきたんですよ。ここは川です。このままだからダーッと、全部流れてきました」
飼っている2匹のネコは無事だったといいますが、玄関先には津波の跡が残ってます。ひざ上ぐらいまで津波が上がってきたことが分かります。
地震発生当初、舟木さんは津波が来るとは思っていませんでした。
舟木さん
「全然信じてなかった。僕の場合は、電話で3メートルの津波が来るよと聞いて、初めてウソーッて。だってずっと、海を見ていたもん」
それでも、万一に備えて高台に避難したところ、本当に津波が来たのです。
舟木さん
「(Q.自宅がどんどん津波に飲み込まれる様子を上からご覧になってたわけですよね?)そうですね。やっぱり痛いわね、心。あぁと言って諦めもあるけどね。しょうがない」
■新築の家を襲う津波「正味、住んだのは10日もありません」
能登半島の最先端にある須須神社。氏子総代を務める辻一さん(68)は、津波がおさまってから家に戻ろうとしましたが…。
辻さん
「ひざまでつかりながら、家まで帰ってきた」
「(Q.ひざまで津波につかって、怖かったですね?)怖かったです。下に何があるか分からないし、いつもこうやって歩いてる道なんですけど、それがひざまであると、そこに何があるか全然分からないから、歩きにくいし、怖いし」
住宅に突っ込んだ津波で押し流された車。寺家地区は、壊滅的な被害が出ました。
辻さん
「もう(家を)潰す。皆、ほとんどの人が潰す!潰す!と聞いてますよ。皆、この人も(家を)潰す!」
「(Q.この辺りに住んでる方も、顔も知ってて?)避難所にいます。家族皆、避難所で今生活してます」
発生当初、この地域の避難所には100人が身を寄せました。避難所だけでは足りないため、近くのビニールハウスでも寝泊まりしたといいます。幸いにも、寺家地区で犠牲者はいませんでした。
津波は、辻さんの娘夫婦が新築したばかりの家を襲いました。
辻さん
「新築して、12月の10日すぎに明け渡しになって。それから引っ越しして、正味、住んだのは10日もありません。1週間くらい」
辻さんの娘夫婦は大工の夫、1歳半の子どもとの3人家族です。新居は大工の娘婿が、自ら12月に建てたばかりでした。津波の後、娘夫婦は…。
辻さん
「夫婦がここへ来たがって、だからちょっと必要な重要なもん。2人して泣きながら探している姿を見ると、本当にかわいそう」
娘夫婦は珠洲市の中心に住んでいましたが、辻さんのすすめでこの土地に新居を構え、楽しい生活を送るはずでした。
辻さん
「(Q.娘さん、お婿さんに何か話されましたか?)かける言葉がない。頑張れよしか言われんもん、俺。細かいことまで聞けない。保険どうなったとか、今後どうするとか聞けない。頑張れよしか言えない。娘夫婦もあきらめてるけども、どうしてやればいいのかな。俺の責任だな。ここへ来いって言った」
現在、妊娠中の娘は臨月のため、金沢市の病院に入院しています。
辻さん
「そこで出産して、帰ってくる家もない。俺の実家も入れん。どこへ帰ればいいの。まさか避難場所に連れていけないだろ、まあまあ人にも迷惑掛かるし、自分らの小さい子が親に泣いたり、おむつ換えたりすると、皆にも迷惑掛かるし、どうしようかなと本当に今、近々のことで悩んでますよ」
■プライベートがない生活…子どもたちの“ある取り組み”が癒しに
珠洲市の正院小学校では、高齢者を中心に現在も200人以上が避難生活送っています。プライベートがない生活が10日も続き、精神状態はもはや限界寸前です。
避難所で生活する大学生 安宅佑亮さん
「寝ているタイミングが一番ストレスが多いと個人的には思っていて。消灯が午後9時半なんですけど、それ以降出歩いてたりすると、ちょっと寝させてくれよとか思ったり。夜中に寝言でしゃべっちゃうおじいちんおばあちゃんとかがいらして、最初はクスクス笑ってたりしてたんですけど、(今は)皆『ボケたこと言ってるな』とか」
そんななか、子どもたちの“ある取り組み”が、癒しのひとつとなっています。
避難所に身を寄せる小中学生の子どもたちが作った「壁新聞」。出された炊き出しの人気メニューのアンケート結果や、エコノミークラス症候群の予防のための体操をイラストで紹介しています。
安宅さん
「放送で子どもたちがおはようざいますとか、きょうのご飯は何とかですみたいなのをやってくれてて。皆笑顔になったりとか、すっごい温かい気持ちになります」
■“ある支援”に注目「震災発生から25時間後に長崎から」
被災地へ様々な支援が進むなか、SNSに投稿された“ある支援”の様子が注目されました。
SNSへの投稿
「圧倒的感謝の紹介。震災発生から25時間後に長崎から石川の能登まで来れる?」
震災発生の翌日2日、石川県輪島市門前町で撮影された映像。映っていたのは“長崎ナンバーで支援にあたる車両”です。
門前町で被災した男性
「とりあえずスピードと、ここに来てくれたっていうのに驚きました。消防とかレスキューとか救急車とか、全部輪島(市街地)に向かって走っていくので。素通りされているという感じがあった。お医者さんっていうので、すごく安心感もありましたし、来てくれた時にちょっと物資も置いていってくれた。水とか、ちょっとした食食料とか。めちゃくちゃ助かったなぁっていうのがありました」
長崎の泉川病院が独自に結成した災害医療派遣チームは、地震発生の2時間半後に地元を出発。翌日から3日間、輪島市の市街地からおよそ20キロ離れた、門前町で支援活動にあたりました。
チームを率い、支援活動にあたった医師は、次のように話します。
泉川病院 泉川卓也院長
「道がかなりやられてまして、目的としては市街地に行こうと思ったんですけど到達できなかった。門前町に到着したのが2日の13時ぐらい。そこから医療活動しております。隊を半分に分けて避難所を回るチームと、被災者を見つけ出す2つのチームに分けました」
避難所での医療活動のほかに、院長らは持参した機材を使って、崩れた建物内で安否不明者を捜索する活動も行いました。
泉川院長
「発災から72時間か、現場到着から48時間と決めています活動時間を。一番最初に行く医療療支援チームって、ほとんどないんですよ。我々としては、そこにどうにかたどり着いて支援をしよう」
■石川県、死者は206人…そのうち8人が「災害関連死」
連日、安否不明者の捜索活動が進められるなか、石川県のこれまでの死者は206人。そのうち8人が「災害関連死」であることが分かりました。
能登町の避難所では10日夜、86歳の男性が心肺停止の状態で発見されました。その後、病院に緊急搬送されましたが、死亡が確認されました。
終わりの見えない避難生活。一体いつまで続くのか、不安は募るばかりです。
(「グッド!モーニング」2024年1月11日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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