池袋の顔で61年ぶりストライキ決行も「そごう・西武」の売却決定 一時代を築いた百貨店の意義は…|TBS NEWS DIG
かつて百貨店の中で売上高がトップにもなった西武百貨店で行われたストライキ。デモ行進には同じ百貨店の労働組合も参加するほど事業継続の危機が訴えられましたが、親会社のセブン&アイは「そごう・西武」を海外ファンドへ売却することを決めました。衰退が鮮明となる百貨店の存在意義は?百貨店の栄枯盛衰の歴史を手作り解説でお伝えします。
■日本初の百貨店は…
1962年の阪神百貨店以来となる異例のストライキとなりましたが今、百貨店業界全体が苦しい曲がり角に立っています。
そもそも日本での百貨店の始まりは…三越の前身、江戸時代創業の呉服店・越後屋です。明治に入り、得意客の武士を失い、1904年、呉服店を一新して、欧米風の「デパートメントストア」にすると宣言。日本初の百貨店となりました。およそ110年前の日本橋三越の写真です。ルネサンス様式の店舗には、靴や洋傘など、モダンな輸入品が揃えられたほか、日本で初めてとなるエスカレーターも導入され人が殺到。入場制限も行われたと言います。これに次ぐように、大丸、高島屋、松坂屋など各地の”呉服店”も百貨店に転換。1920年代になると阪急や東急など電鉄会社が経営するターミナル百貨店が出現しました。
■池袋の顔
西武百貨店ができたのは、戦時中の1940年。西武は、堤清二氏が社長になると映画や音楽などの情報発信も行う「パルコ」など様々なグループ企業を生み出しました。こちらは、1980年代の西武百貨店のポスターですが、コピーライターの糸井重里さんが考案した、「おいしい生活。」というキャッチコピーが一世を風靡。富裕層だけでなく若者や大衆を取り込み、単なる小売業ではなく、文化発信拠点としても人気を集め、百貨店の中で売上高がトップとなるほどに成長しました。
■コンビニと差が開く百貨店
この頃、百貨店全体でも売上は右肩上がりでした。しかし、バブル崩壊とともに下降。現在、コンビニ業界が売上を伸ばす中、その差は、倍以上に開いています。売り上げが低迷した西武百貨店は、2003年にそごうと経営統合、2006年にはセブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となりました。しかし、その後も業績が上がらず、4年連続で最終赤字となる中で今回、アメリカの投資ファンドへの売却が決まりました。(米投資ファンド「フォートレス・インベストメント・グループ」)
■労働組合の訴え
「そごう・西武」の労働組合は、何を訴えていたのか。西武池袋本店のレイアウトですが、ヨドバシカメラを展開するヨドバシホールディングスが、ファンドと連携しているため、売り場の大部分に出店する可能性があり、「雇用の維持」や「百貨店としての事業継続」について懸念が解消できないとストライキを行いました。
■百貨店とは…
かつて隆盛を誇った百貨店、家電量販店に飲み込まれていく状況に流通アナリストの中井彰人さんは「百貨店の衰退が都市部にまで及んでいる。その街における百貨店の存在意義を考える時期に来ている」と指摘しています。今回の「そごう・西武」の売却が、日本の百貨店の分水嶺となるのでしょうか。
(「サンデーモーニング」2023年9月3日放送より)
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