住民驚き…庭に「防空壕」 “本土決戦の拠点”極秘工事 現代に残る「地下壕」の秘密【Jの追跡】(2023年8月27日)

住民驚き…庭に「防空壕」 “本土決戦の拠点”極秘工事 現代に残る「地下壕」の秘密【Jの追跡】(2023年8月27日)

住民驚き…庭に「防空壕」 “本土決戦の拠点”極秘工事 現代に残る「地下壕」の秘密【Jの追跡】(2023年8月27日)

終戦から78年経過した現在も残り続ける「地下壕(ごう)」は、全国に7800カ所以上。横須賀市では購入した住宅の庭に、防空壕がありました。住民は、驚きを隠せません。

長野市には「幻の地下壕」と呼ばれ、本土決戦の最後の拠点として密かに工事が進んでいた“地下要塞”がありました。

戦争の記憶どう保存していくか。この課題に対応すべく、地下壕を残す新たな取り組みも始まっていました。

■「松代大本営」市が主体となり補強工事

薄れゆく戦争の記憶を色濃く残す施設が、長野市の山あいにありました。

山の斜面に掘り抜かれた、その入り口。鉄格子の扉を開けて、中に入ると、掘削されてむき出しの岩肌が見えます。そして通路は、地下深くへと続いています。

松代大本営平和祈念館 久保田雅文理事:「今この辺りですね」「(Q.この先には、世界が広がっている?)総延長は約5.9キロ、約9か月間の突貫工事でこの地下壕を掘り上げたと」

延々と広がる地下空間。ここは一体…?

久保田理事:「本土決戦のために。ここに首都機能、政府とか皇居の機能。こういったものを信州の山奥に移転させようと…」

大戦末期の1944年。本土決戦の最後の拠点として、密かに計画されたという「松代大本営」。空襲などの危険を避けるために建設された、いわば“地下要塞”です。

地下壕では材木で部屋を造り、軍や政府の中枢、そして、天皇の生活の場を東京から移転する計画だったといいます。

しかし、建設途中で終戦を迎え、実際に使用されることはありませんでした。

日本の国運をかけて行われた極秘工事。すでに8割程度は完成していたそうです。なぜ、この場所が選ばれたのでしょうか?

久保田理事:「この岩石、頑丈で。アメリカ軍の爆撃にも耐えられるということで、ここを計画した人たちは、この岩石を見てここに決めた」

地下壕には、工事が行われた当時のまま残っているものがあるといいます。

久保田理事:「天井を見てください。鉄のこの棒が刺さっている。これは、削岩機のロッドという部品」

ダイナマイトを詰める穴を開けるために使われた削岩機。部品の一部が抜けなくなったままです。

久保田理事:「地下壕を造っている裏側では、東京大空襲とか、沖縄の戦いとか、負ける方向はもう分かっていた。分かっていながら、最後にこの地下壕を掘るような命令まで出した」

この地下壕は、戦後長らく放置されていましたが、市が主体となって補強工事を行い、1989年から一部が一般公開されています。

■迫る風化…当時のまま残る地下壕

一方、現在も手つかずで残り続けている地下壕もあります。

都心から電車で1時間。高尾山の近くにも地下壕があります。しかし、当時のままゆえに、抱える課題もあるそうです。

東京・八王子市にある「浅川地下壕」。大戦末期に工事が行われました。

近くで働く人:「(Q.この辺りに地下壕って…)分からないです 。聞いたことない…」

この地下壕を知ってもらおうと、地元の有志らが月に1度、見学会を行っていて、全国から参加者が訪れています。

壕の中にはコウモリもいます。さらに、松の丸太もありました。

浅川地下壕の保存をすすめる会 中田均副会長:「(Q.どうして、こんなところに?)左右とか天井にあったのが、ドーンと落ちて」

終戦直後に地下壕の中で撮られた写真を見ると、確かに、丸太が立てかけられています。当初の計画では、総延長10キロメートルという巨大地下壕になる予定でした。

さらに、奥へ進むと…。

中田副会長:「ここですね。(この先は)碁盤の目のようになっている」「(Q.ここはどういったエリア?)地下疎開工場。戦闘機や爆撃機などに搭載するエンジンの部品をここで加工する、造る」

実はここ、ゼロ戦などといった戦闘機のエンジンを造る地下工場だったのです。

空襲の被害を防ぐため、地下壕に機械を移してエンジンの生産を続けましたが、湿度が高く、水滴が落ちてくるなど作業環境は劣悪。終戦までに造られたエンジンは、わずか10基だったといいます。

中田副会長:「戦争のあった時代が、どういう時代だったかを次の世代に、伝えられるものになるのでは」

しかし…。

中田副会長:「(Q.岩が落ちているところもある?)上を見ると、ここが落ちているということ」

■高専の学生が「三次元マップ」で再現

ほとんど手入れされずに残ってきた地下壕だけに、将来的には崩壊し、中に入れなくなってしまう可能性もあるといいます。

戦争の記憶を刻んだ地下壕を未来へ残したい。その新たな試みが、東京高専の学生たちによって行われています。それは、浅川地下壕の中を再現した「三次元マップ」です。

東京高専機械工学科 冨沢哲雄准教授:「センサーで作った、浅川地下壕の3次元モデルをシミュレーションするアプリケーション」

距離を測ることで、大きさや岩肌の形を正確に記録できるセンサーを地下壕に持ち込み、学生らが計測しました。

さらに足音も、実際に浅川地下壕で録音しました。直接、地下壕の中に入らなくても、リアルな雰囲気を体験することができます。

戦争の記憶を次の世代へどう残していくか。その模索は続きます。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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