「南阿蘇鉄道」全線開通支えた若者たちの想い 名物トロッコ列車も絶景の被災地を走る(2023年7月16日)

「南阿蘇鉄道」全線開通支えた若者たちの想い 名物トロッコ列車も絶景の被災地を走る(2023年7月16日)

「南阿蘇鉄道」全線開通支えた若者たちの想い 名物トロッコ列車も絶景の被災地を走る(2023年7月16日)

夏休みに期待を寄せる熊本・南阿蘇鉄道の名物「トロッコ列車」。
熊本地震で被災して以来、7年3カ月ぶりに全線で運転を再開しました。
復旧を支えたのは「地元に恩返しをしたい」という若者たちの想いでした

■南阿蘇を走る「トロッコ列車」復活支えた若者

暗いトンネルを抜けると、そこには、阿蘇の雄大な風景が広がっていました。この景色が見られたのは、およそ7年ぶりのことです。この第一白川橋梁の景色に憧れ、震災後に入社。記念すべき初日の運転手を任されたのが、29歳の運転士・玉目さん。
(玉目一将 運転士(29))「地元の方が来てくださったり、見慣れた顔が歓迎してくださって非常にうれしく思いました。とても幸せです」
熊本県の南阿蘇鉄道がすべての復旧工事を終え、15日、7年3カ月ぶりに全線開通。今日16日には、名物のトロッコ列車が南阿蘇を駆け抜けました。
(トロッコ列車の乗客)「自然の中をすごい走ってて気持ちいいです。」
「昔乗っていたので懐かしいなと」

2016年、熊本県では、震度7の揺れが連続して街を襲い、273人が死亡(震災関連死含む)、およそ20万軒の住宅が被害を受けました。ここ南阿蘇も大規模な土砂崩れなどが発生。線路やトンネル、鉄橋が甚大な被害を受け、南阿蘇鉄道は、これまで6割が運行できない状態が続いていました
通勤・通学の足として、そして観光列車として、地元住民に愛されていた南阿蘇鉄道。その復活の一翼を担ったのが「若い社員の力」です。
この春から走る、新しい車両のデザインを担当したのは26歳の運転士・宍戸さん。阿蘇の山々のグリーンと、街を流れる白川のブルーをイメージしたそうです。
「ほとんど20代で、若いメンバーでやらせてもらっています。」
28歳の山本さんは運転士をしながら広報も担当。地震とコロナ禍で乗客数は激減していましたが、SNSを使って海外からも観光客を呼び込みました。
(山本英明 運転士(28))「素晴らしいこの南阿蘇鉄道をよりよく発展させていくために、できることをやれたらなと思っています。」

■“傷ついた故郷”の復興へ 「南阿蘇鉄道」全線開通

(立野わかもん会 郷聖典会長(39))「南阿蘇鉄道7年ぶりの開通になります。皆さんで精いっぱい盛り上げて頑張っていきましょう。よろしくお願いします。」
開通イベントの準備をしていたのは、地元の若者らで結成された「立野わかもん会」のメンバー。
立野地区は南阿蘇の中でも特に被害が大きく、震災後、4割の住民が立野地区をあとにしたといいます。そんな状況に危機感を感じた若者が、震災後、地元を盛り上げようと集まったのです。
(わかもん会メンバー)「みんなが支えあって、『ここで暮らしてよかったな』とか、訪れる方たちが『ここに来てよかった』と思えるような村づくりができればいいなと」
会長の郷さんも立野で被災した一人です。
(郷聖典会長)「ここに家があって、家潰してしまって。」
2度の大きな揺れで自宅は半壊。自宅前のブロック塀も次々と倒れたといいます。
(郷聖典会長)「自分たちは家族で、裸足で逃げてきました。逃げてきて子ども抱いて、子どもがまだ小さかったので、当時3歳と2歳だったので。」
幼い我が子を抱きかかえ、命からがら逃げたという郷さん。傷ついた故郷を、南阿蘇鉄道とともに元に戻していきたいと話します。
(郷聖典会長)「生活の交通手段になっている人も結構いますし、病院にも行けない。地域にないとダメかなと思う乗り物だよね。若い人が来る村づくりじゃないですけど、出て行かれた人が『帰ってきたいな』って思う村づくりをしていきたいと思います。」
郷さんは震災後初めて列車に乗りました。
(郷聖典会長)「すごいやろ、すごいよね。めっちゃ久しぶりだな。感動する」
あの時、抱きかかえて逃げた子どもたちも一緒です。
(郷聖典会長)「南阿蘇鉄道がこうやって復興した思いとかっていうのを、今後、この子たちにも受け継いでってほしいなと思いますね」
(郷さんの娘)「また乗りたい」
7年3カ月ぶりに全線開通した南阿蘇鉄道。それぞれの思いを乗せ、列車は走ります。

7月16日『サンデーステーション』より
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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