「核の恐ろしさを…」被爆した“伸ちゃんの三輪車” 原爆資料館をG7首脳が訪問…遺族が展示に託した思い|TBS NEWS DIG
G7の首脳が訪れた原爆資料館。原爆の犠牲になった人たちの遺族が、「核兵器が何をもたらすかを知ってほしい」という思いを託した遺品が展示されています。
テレビ画面越しに見守っているのは、広島市に住む鉄谷敏則さんです。鉄谷さんの兄は、いまも原爆資料館で被爆の惨状を伝え続けている「伸ちゃんの三輪車」の持ち主・鉄谷伸一ちゃんです。当時3歳だった伸一ちゃんは、爆心地から1.5キロの自宅前で三輪車で遊んでいた時に被爆しました。顔はやけどで腫れ、「水をくれ、水をくれ」とうめき声をあげていたといいます。
伸一ちゃんの父 鉄谷信男さん(当時82)
「水飲んだら死ぬからがんばってくれと。その晩に死んでしまった」
父の信男さんは、伸一ちゃんをいつも遊んでいた三輪車とともに自宅の庭に埋葬しました。そして、そこに顔が似ているという地蔵を置き、毎日、手を合わせていました。
被爆から40年後、家族が集まり、伸一ちゃんを掘り返しました。戦後生まれの弟・敏則さんもその場にいました。子どもなので骨は残っていないかもしれないと言われていましたが…
戦後生まれの伸一ちゃんの弟 鉄谷敏則さん
「出てこないかもしれないと思いながら掘ってたら、結構骨が残っていた。三輪車もかなりさびていたけど」
頭の骨も残っていて、それを見た時のことについて、信男さんはこう語っていました。
伸一ちゃんの父 鉄谷信男さん(当時82)
「私に向かって『お父ちゃん、年取ったな』って言ったような気がした」
伸一ちゃんの遺骨は墓に。三輪車は世界に核兵器の恐ろしさを知ってもらうためにと、原爆資料館に寄贈しました。
信男さんは、伸一ちゃんへの思いなども語っていきました。
戦後生まれの伸一ちゃんの弟 鉄谷敏則さん
「伝えたいけど思い出したくない。伝えるためには思い出さないといけない。それをあえて思い出すということをしていた」
資料館にある遺品は、こうした遺族の気持ちが詰まっているといいます。
G7の首脳が資料館で何を見たのかは明らかになっていませんが、首脳が来たことで、多くの注目が集まることに期待を寄せます。
戦後生まれの伸一ちゃんの弟 鉄谷敏則さん
「広島の人は『これを見てください、聞いてください』と言っているわけだから、(各国首脳が)それを見に来てくれたというのは、父親も喜んでくれると思う、よかったって」
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