【報ステ独自】「0.6秒の静止画」銃撃後に何が…長井健司さんのカメラに“謎の映像”(2023年4月27日)

【報ステ独自】「0.6秒の静止画」銃撃後に何が…長井健司さんのカメラに“謎の映像”(2023年4月27日)

【報ステ独自】「0.6秒の静止画」銃撃後に何が…長井健司さんのカメラに“謎の映像”(2023年4月27日)

26日、ミャンマーで銃撃されたフリージャーナリスト・長井健司さんが使用していたビデオカメラが、約16年ぶりに遺族のもとに戻りました。

テープには、長井さん殺害後、第三者が撮影した映像も残っていて、複数の人物の手を経由していたことが明らかになってきました。

まず最初に入っていたのは静止画。すぐに黒味になってしまいますが、記録されていたのは19フレーム、約0.6秒です。どこか通りに面したお店の中のように見えます。

撮影データを見ると、2007年10月18日とあります。長井さんが殺害されたのが9月27日なので、撮影はそれ以降と推測されます。

続いて入っていたのは黒味です。車のクラクションや人の話し声のようなノイズが19秒ほど入っていますが、何の音かを聞き分けることはできませんでした。

黒味の後に映し出されたのは、女性と男性のやり取りです。

女性:「モニターを通して見えるわけね」
撮影者:「モニターで見ないといけない」
女性:「片方の目を閉じて見なくちゃいけない」
撮影者:「こいつはこれだけ。テレビ」

どこかの部屋でカメラを触りながら、2人の人物が操作方法を話し合っているように推察されます。録画されていることには、気付いていないのかもしれません。

女性:「それはズームをするところね」
撮影者:「そう、ズームだ」
女性:「あっちに押したら『引き』。あっちに押したら『寄り』」
女性:「彼らは25万チャットで売るの?」

25万チャットは、仮に2007年のレートだと、日本円で約2万4000円です。当時のミャンマー人の平均的な月収の2倍以上になります。カメラその物の価値なのか、長井さんの物と知ったうえでの値段なのかは分かりません。

最後は青味になって録画は終わっていました。

カメラとテープは長井さんの死後、16年近くの間に複数の人の手に渡っていたとされています。その過程で、様々な物が録画されていたようです。

改めて、1秒にも満たない、お店の中のような静止画に注目します。撮影したビデオカメラには、静止画が撮れる機能も付いていました。ただ、説明書を見てみると、静止画の記録時間は「7秒」。残り6秒以上の画像データは、どこに消えたのか。

テレビ朝日で長年、ビデオエンジニアを務めてきた技術局・井上貴史担当部長は、映像の撮影データにヒントがあると話します。

井上貴史担当部長:「映像は黒味になっているが、レンズの情報が表示されている。“カメラは収録している”ということ。恐らく(レンズに)キャップがされた状態で、カメラの撮影が続いていると予想」

そのキャップをつけた何者かが、何らかの目的を持って、静止画を黒く塗りつぶした可能性があります。

気になることが、もう1つ。静止画は、長井さんが亡くなった21日後に撮られました。ところが、その後に続く、黒みや女性が映った動画には、撮影日時が表示されていません。

説明書には「あとからタイムコードを書き直すことはできない」とあります。ではなぜ、撮影日時が記録されていないのか。こうした現象の原因は、テープが傷ついたか、撮影データが破損した恐れがあるということです。

16年近く経ち、現存していることが分かった、長井さんの撮影していたテープ。同じくミャンマーで活動をしてきたジャーナリストは、こう話します。

ドキュメンタリー映像作家・久保田徹さん:「軍がやってきていると。武装した軍が、武器も持たない人々の前に、立ちふさがろうとしている。その現場をギリギリまで伝えていたんだなと。それは非常に差し迫るものがあった。あのような映像が残っているとは誰も知らなかったので。この映像が残っていて、本当に良かった」

長井さんが殺害された件が、これで解決したわけではありません。例えば、日本に永住権を持つ映像作家のモンテインダンさんも刑務所の中です。久保田さん自身も、解放されなければ、デモを撮影しただけなのに、禁錮7年でした。ミャンマーの状況は悪化するばかりです。

久保田徹さん:「長井健司さんの映像が残っていた、それが公開されたことによって、ミャンマーの人々が勇気付けられる部分はあると思います。伝えようとしてくれた日本人がそこにいて、彼の映像が残っていた。それは、今も生きるミャンマーの人々にとって、またそれを伝え続けているミャンマーのジャーナリストにとっても、ある種、力になる部分はあるのではないか」

【カメラ返還“命がけ”の経緯】

ビデオカメラが戻ってきた経緯、現在判明している状況を整理します。

長井さんが銃撃されて亡くなったのは、2007年9月27日のことでした。

撃たれる瞬間を撮影したミャンマーメディア『ビルマ民主の声』の編集長・エーチャンナイン氏は、当時の状況から見て「カメラを持って行ったのは国軍関係者であることは間違いないだろう」と話しています。

その理由として、銃撃後に運ばれる長井さんの周りにカメラがなく、周囲に民間人はおらず、そこにいたのは軍だけだったことを挙げています。

ただ、エーチャンナイン氏は「1人の兵士が単独で持ち去った可能性もあるのではないか」と推察しています。さらにその後、「カメラは市民の手に渡ったのではないか」ということです。

ここから先、どのような経緯をたどって遺族にカメラが渡ったのか。断片的に見えてきました。

2021年のクーデター以前、エーチャンナイン氏によりますと、ある人物からカメラが『ビルマ民主の声』の記者に手渡されました。

記者はその時点で、カメラの表記が日本語で書かれ、公開されていたカメラの型番と一致したことから「長井さんのカメラではないか」と気付いたということです。

2021年のクーデター以前は、アウンサンスーチーさんが率いるNLDの民主的な政権の時代がありました。その間に国外に持ち出すことは難しかったのでしょうか。

エーチャンナイン氏:「長らく反軍政を掲げてきた『ビルマ民主の声』に対する、国軍や警察の監視が厳しく、国外に持ち出すと没収されてしまう恐れがあった。どうやって持ち出すかを話し合ううちに時間が過ぎ、クーデターが起きてしまった。クーデターで監視の目がさらに厳しくなり、カメラは何人かの記者の手を介しながら保管されていた」

安全を考えると一般人に輸送を頼むこともできないため、2022年後半、『ビルマ民主の声』の記者が命がけでミャンマーからタイに持ち出し、その後、タイ国内でエーチャンナイン氏の手にカメラが渡りました。26日に長井さんの妹・小川典子さんの手に渡りました。

外務省は、テレビ朝日に対しこのようにコメントしました。

外務省:「政府として事件発生以降、ミャンマー側に対して、真相解明とともに遺品の返還を求めてきました。今回ビデオが返還されたことは、どのような形であれ、ご遺族の意向に沿ったものと受け止めています。ただ、返還までに、これだけの年月がかかったことは遺憾です」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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