「誰かのために」“被災者”としての葛藤…辿り着いた“復興”東日本大震災12年(2023年3月9日)

「誰かのために」“被災者”としての葛藤…辿り着いた“復興”東日本大震災12年(2023年3月9日)

「誰かのために」“被災者”としての葛藤…辿り着いた“復興”東日本大震災12年(2023年3月9日)

東日本大震災から、まもなく12年。被災地は、その姿を少しずつ変えてきましたが、いまだ道半ばです。

“復興”とは何か。自問自答を繰り返す男性がいます。

丹野晋太郎さん(27)は中学生の時、岩手・陸前高田市で被災し、両親と祖母を亡くしました。

丹野さん:「(Q.ご両親ってどういう方でした?)真面目だったと伺っております。そういう話、あまりしたことなかったので。(母親と)遊んだとか、あんまり覚えてないんですけど、よく一緒に図書館行ったなっていうのは覚えていて」

当時は“被災者”として、同情や励ましの言葉をかけられることに、抵抗があったといいます。

丹野さん:「当時は色んな人が色んなことを言ってくるので。今振り返ると、無責任な大人の発言が多かった。でも、年齢を重ねていって、あの時言われたことを、今でも覚えていて。その言葉を大事に生きていくとか」

そして多くの人に支えられるなかで、ある想いを抱くようになりました。

丹野さん:「震災のおかげで、今度は自分が誰かの助けとなり、誰かの役に立てるような人間になりたいと、震災から今まで思い続けています」

丹野さんは今、被災した地元・岩手の会社で働いています。

就職したのは、障害のあるアーティストの作品を商品化し、販売する会社『ヘラルボニー』。丹野さんは、その企画や運営などを担当しています。

丹野さん:「すごく大きい取り組みに関わらせて頂いたこともあったりするが、手の届く範囲で誰かが『うれしかった』『楽しかった』と言ってくれることのほうが大事」

「誰かに喜んでほしい」「誰かの役に立ちたい」その思いを胸に、丹野さんは、あるプロジェクトに取り組んでいます。

震災支援をきっかけに交流を続けている、シンガポールと地元の高校生らが共同で参加したアート作品の展示会『シンガポール・陸前高田 アート交流事業企画展』。テーマは『つなぐ』です。

ほとんど利益にならないといいますが、“地元のために”と上司を説得して、この仕事を受けました。

あの日から12年。丹野さんが願う“復興”とは。

丹野さん:「復興っていう大きな言葉にしてしまうと、具体的に何をしたら復興なのか。それよりも、もっと手が届く範囲で『困っているから手伝ってほしい』とか。一気に世の中を変えられるような人間だとは思っていないので、自分ができることをやるっていうところに尽きると思う」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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