「人から憎まれて死にたい」最後まで貫いた・・・石原慎太郎さん(89)死去(2022年2月2日)
歯に衣着せぬ“石原節”が何度も物議を醸しました。
■都知事14年にわたり・・・
石原慎太郎氏(当時82):「いくつで死ぬか知りませんが、まもなく死ぬんでしょうけどね。死ぬまでは、やっぱり言いたいこと言って、やりたいことやって。人から憎まれて死にたいと思います」
その言葉通り、最後まで言いたいこと、やりたいことを、石原慎太郎さん(89)は貫きました。
俳優・石原裕次郎さんの兄で、文壇デビューとなった「太陽の季節」で芥川賞を受賞した作家でもありました。
政治家に転身したのは1968年、35歳の時。その後、運輸大臣などを務めましたが、議員在職25年の表彰直後に辞職。その4年後・・・。
石原慎太郎氏(当時66):「石原裕次郎の兄です。革命をやってやろうと思う」
東京都知事選で圧勝しました。
石原慎太郎氏(当時66):「偉そうに見えるかい?誰も笑わないんだな」
およそ14年にわたる長期政権で、宣言通り、辣腕(らつわん)を振るいます。
石原慎太郎氏(当時70):「固まっちゃったけど、これ粉じんになって、飛んでいるの。これを総理大臣も、生まれたての赤ん坊も、皆吸っているんだ、東京で」
運輸業界の猛反発を押し切り、ディーゼル車の排ガス規制を実施。世界的なイベントになった「東京マラソン」も創設しました。
■“石原節”で物議も・・・
その一方で、際立っていたのが、過激な“石原節”でした。
石原慎太郎氏(当時78):「日本は核(兵器)を持たなきゃだめですよ。持たない限り、一人前には絶対扱われない」
中国が領有権を主張する尖閣諸島については、東京都が島の購入を国に先んじて表明しました。
石原慎太郎氏(当時79):「東京が尖閣諸島を守ります。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守るため、島を取得するのは、何か文句ありますか」
国が進めていた首都機能の移転問題では・・・。
石原慎太郎氏(当時69):「政治家に皆なびいて、あの時にとりあえず、どこかにいつか首都を移すという、こんなバカな決議をした国会は世界中にないよ。バカげているから。あきれた」
常に強気な姿勢でしたが、東日本大震災で現地に向かった東京消防庁のハイパーレスキュー隊に言葉を贈った際には、涙を見せる場面もありました。
石原慎太郎氏(当時78):「皆さん、本当にありがとうございました。おかげで、この国を救うきっかけが見つかりました。人間同士の連帯はありがたい。人間って捨てたもんじゃない。日本人は、まだまだ捨てたもんじゃない」
都知事を4期目の途中で辞職し、80歳で国政に復帰。そこでも“石原節”は健在でした。
石原慎太郎氏(当時80):「浦島太郎のように、18年ぶりに国会に戻って参りました。“暴走老人”の石原であります。これから致します質問は、質問でもありますし、言ってみれば、この年になった私の国民の皆さんへの遺言のつもりでもあります」
■「死ねば何もない」
その2年後、政界を引退した後は、精力的に執筆活動を続けていました。
おととしには、自身の死生観について執筆。こんな思いを明かしていました。
石原慎太郎氏(当時87):「来世なんてのは信じてませんから。天国も地獄もない。仏さまは、お釈迦さまはそんなこと言ってませんし。そんなものはありませんよ。人間は死ねば意識がなくなるので、死ねばそれっきり。もう全部、虚無。全く何もなくなる。その方が、さっぱりしていいじゃないですか」
(「グッド!モーニング」2022年2月2日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
コメントを書く