【報ステ】薄暗い街のなか響く歌にダンス…戦争の中の日常 大越が見たウクライナの今(2023年2月6日)

【報ステ】薄暗い街のなか響く歌にダンス…戦争の中の日常 大越が見たウクライナの今(2023年2月6日)

【報ステ】薄暗い街のなか響く歌にダンス…戦争の中の日常 大越が見たウクライナの今(2023年2月6日)

ロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年。大越キャスターが取材しました。

西部の中心都市・リビウ。家の電気は、ほとんど点いていません。電力不足は、ロシアが発電所への攻撃を繰り返しているせいです。

寒空のもと、広場で歌い、肩を揺らせる人たちがいました。リビウは、ウクライナ各地から避難してきた人が多い町です。
ザポリージャ州から避難した女性:「(Q.みんなで集まって、歌ったり、楽しんだりしていることに驚きました)そうすることによって、 団結力を感じ、ウクライナを感じます」
ザポリージャ州から避難した女性:「私たちは、いろんな街から集まってきましたが、私たちはウクライナ国民」
ドネツク州から避難した女性:「ウクライナ勝利で、戦争が終わり、ドネツク州に戻ることができると望んでいます」

リビウからキーウに夜行列車で向かいます。リビウからキーウまで7時間半。旅客機が飛べない、いまのウクライナにおいて、鉄道は人々の重要な足となっています。
大越キャスター:「(列車の)窓ガラスに透明のテープが貼ってあります。これは爆発、攻撃を受けたときに窓ガラスが飛び散らないよう、防護テープを貼ってあるそうです。何気ない列車ですけど、こういうところにも“戦時”ということがあらわれていますね」

ウクライナ全土約2万キロにわたって張りめぐらされた鉄道。国外へ避難する人や避難先から戻る人、さまざまな物資を運んできました。しかし、人とモノを運ぶインフラであるがゆえに、ロシア軍は、繰り返し攻撃を加えています。

キーウへ向かう車内で1人の男性に出会いました。元ジャーナリストで、以前はオンラインメディアの編集長を務めていたバシトビーさん(33)。徴兵され、いまは戦闘の最前線へ送られる身です。
アンドリー・バシトビーさん:「戦場ジャーナリストとして、戦地に行ったことはありますが、(兵士として行くのは)まったくの別物でした。記者なら危険が大きくなれば、“とどまる”か“離れる”を選べます。しかし、軍人であれば選択の余地はない」

東部の要衝・イジューム。ロシア軍の占領下にあったこの街を、去年9月、ウクライナ軍は奪還しました。バシトビーさんは、ロシアに奪われた土地を取り戻す役目を果たしました。
アンドリー・バシトビーさん:「(Q.ジャーナリストとして、リアルな戦争を経験した人間として、これからの役目は何だと思いますか) 私は、もうジャーナリストではありません。占領されているウクライナ領土が“完全”になくなるまで、この戦いに残り続けるのが私の目標です。その目標に気づけば、楽なものです。『地下塹壕で暮らし、泥の中で眠り、砲撃におびえて苦しんで、何をしているんだろうか』と。でも“なぜ自分がそうしているか”気づけば断然、楽になるのです」

列車がキーウに到着したのは、まだ夜が明けないころでした。戦時下においても、人々は仕事をし、日々、生活を送っています。ただ、日常の裂け目が、そこかしこに存在しているのが、いまのキーウです。

ロシア軍は、キーウ周辺から撤退したあとも、首都への攻撃を繰り返してきました。
大越キャスター:「このビルは、一般の人たちも住んでいるビルですけど、激しく破壊されています。去年10月10日のロシア軍の総攻撃によって、この一帯でも5人の方が亡くなったといわれています。私にとって、さらに意外だったのが、この壊れたビルの無事だった一角で、コーヒーショップが営業しています。戦争と日常が、まさに隣り合わせとなったキーウの今を象徴する光景に思えます」

そして、キーウの象徴、独立広場。死者を悼む無数の国旗が並べられています。
大越キャスター:「ウクライナという国は親ロシア、そして親欧米の政権が交代交代で、この国を運営してきました。親欧米路線が決定的となったのが、ここ、この広場を象徴として繰り広げられた革命でした。そのあとプーチン大統領は、ウクライナのクリミア半島を武力を背景に併合しました。そして、『戦争は、去年、始まったのではなく、2014年に始まった』とウクライナの人たちは口にしています」

キーウ市内では、いま、ちょっとしたお祭りが開かれています。大人たちは買い物やグルメ、子どもたちはスケートを楽しむ、本来あるべき日常の風景です。射的ゲームに並ぶ人たち。標的はプーチン大統領の顔です。
射的屋の店員:「(Q.プーチン大統領の顔を的にする発想はどこから)国民はプーチン大統領を非常に憎んでいるからです。的に撃つことで、気が晴れるようです」

◆首都キーウの独立広場から大越キャスターの報告です。

ウクライナに到着して取材を始めてから、私が特に印象に残っているのは、西部の街・リビウです。そこから夜行列車に乗ってキーウに来ました。列車に乗る前、凍てつく寒さのなか、ストリート・ミュージシャンがギターを鳴らし、歌を歌っていました。その周りには、たくさんの人が取り囲み、一緒に歌を歌ったり、ダンスをしたりしていました。地元の人に聞くと、「我々、ウクライナの人間は、もともと陽気なんですよ。だからこのような光景は日常茶飯事です」と笑っていました。電力不足で、暗い街のなか、こだまする歌声に心動かされました。その場所には、ロシアの激しい侵攻を受けている東部のドネツク州や、ザポリージャ州からやってきて、身を寄せている人たちもいました。そうした人たちにマイクを向けると「ウクライナは一つ、私たちは決して負けない」と口々に話をしていました。

(Q.人々の心の中に戦争は深い影を落としているということですね)
誰もが「自分は戦争のことを忘れたことはありません」と話します。そして、「ロシアとの戦争は決して1年前に始まったものではなく、それより前から続いているのだ」と話します。独立広場は、9年前に激しい流血がりました。新ロシア派の政権は去りましたが、プーチン大統領はそのことに激しい怒りを示しました。民主主義の旗を掲げるウクライナに対し、激しく干渉し、東部ドンバス地方で親ロシア派の武装勢力を支援し、武力を背景にクリミア半島を一方的に併合までしました。そのときから戦争は続いているというわけです。キーウやリビウの暮らしは落ち着いていると感じるのも、戦争をより長い時間軸で捕らえ、覚悟を決めてこの戦争に臨んでいるウクライナの人々にとっては、むしろ当然のことなのかもしれません。

(Q.独立広場などの、安全確保はどうなっているのでしょうか)
私たちが到着して丸一日が経ちますが、これまで空襲警報は鳴っていません。独立広場には、地下道の入り口があります。いざというときは、地下道が、そのままシェルターになります。警報が鳴った場合、私たちは、そこに場所を移して放送を続けたいと思っています。

ウクライナの国防相が5日の会見で「2月にロシアが攻撃を仕掛けてくる可能性がある」と改めて発言。これは軍事的な根拠があるわけではなく、「侵攻から1年という象徴的な理由から」としています。

(Q.キーウの方々は、次のロシアの大規模な攻撃報道について、どう受けて止めているのでしょうか)
皆さん、非常に冷静に受け止めているという印象です。皆さん、口をそろえてウクライナ軍への信頼を語っています。中部の町でロシア軍の攻撃に遭遇し、キーウに避難してきた60代の女性は「大規模攻勢はもちろん怖いです。だけど、私はウクライナに残ります。私たちの兵士を信じます」と話していました。現地のメディアも、国防相の発言については、そのまま伝えていますが、特段の分析や論評を加えているところは、ほとんどありません。が威嚇も含めたロシアの出方を冷静に見守っているというのが現状です。

(Q.大越さんは、去年、隣国ポーランドで、ウクライナから逃れてくる人を取材しました。ウクライナへの途中、ポーランドに立ち寄って取材したそうですが、変化はありましたか)
今回、取材したポーランドの人たちは、去年と同様、非常に熱い思いで、ウクライナからの避難民の支援にあたっていました。しかし、ポーランドのみならず、避難民の支援に積極的だった国も、人々も、いわゆる“支援疲れ”という様子が見て取れました。その大きな原因は、資源をはじめとする極端な物価高という、現実的な暮らしの問題からでした。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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