【全編公開】古代丸木舟 64年前の発掘映像を徹底調査 映っていた本人が詳細を証言 歴史的意味は…(1959年2月)【映像記録 news archive】

【全編公開】古代丸木舟 64年前の発掘映像を徹底調査 映っていた本人が詳細を証言 歴史的意味は…(1959年2月)【映像記録 news archive】

【全編公開】古代丸木舟 64年前の発掘映像を徹底調査 映っていた本人が詳細を証言 歴史的意味は…(1959年2月)【映像記録 news archive】

■テレビ朝日のライブラリーに残された発掘の映像

一面に広がる田園風景。
大勢の男性が集まり大きな穴を掘っています。
掘り出されたのは細長い板のようなもの…
バケツで水をかきだします。
よく見ると、丸みがあります。

いまから64年前、1959年2月に日本教育テレビ、現在のテレビ朝日が撮影した古代の丸木舟を発掘する様子です。
千葉県の八日市場市、現在の匝瑳市から掘り起こされたと記録されています。

この舟にはどのような歴史的な価値があるのか?
映像に映っている人物は誰なのか?

詳細を調べるため、八日市場市の発掘に当たった慶應義塾大学に連絡を取り、古代丸木舟に詳しい専門家に映像を見てもらいました。

■当時の丸木舟発掘映像は貴重だった

慶應義塾大学 安藤広道教授:
「僕は丸木舟の発掘の動画、この時期のものは初めて見ます」

安藤教授:
「これが一体何なのかってのが分からないんですけど。なんでしょう、丸いのは」
岩槻郷土資料館 小倉均さん:
「俵のあれ(端)ですよねー」
安藤教授:
「あ、これ!俵を壊して(梱包に)」
小倉さん:
「そうじゃないですか」
安藤教授:
「バラシて、スポっと入れて…」
小倉さん:
「ここまででひとつ、ここまででひとつ、と」

安藤教授:
「こういう映像でかなり具体的なことが分かるというのは重要な資料になるのかなと思います」

安藤教授は、知っている顔を見つけました。

安藤教授:
「藤田先生ということになりますね」

映像の中で、考古学の大先輩、藤田亮策教授と当時助手であった近森正先生の姿が確認できました。

■映像に映っていた本人が証言 現場は千葉県ではない?

ところがここで、大きな疑問が湧いてきたのです…

慶應義塾大学 安藤教授:
「二人がいらっしゃる調査というのは(慶應の記録では)膝子しかないので」

なんと、発掘現場は千葉県八日市場市ではなく、
当時の埼玉県大宮市の膝子ではないかというのです。

64年前の映像に映っていた近森先生は現在87歳。
記憶を確認してもらいました。

慶應義塾大学 近森正名誉教授:
「これ私ですね」

近森名誉教授
「(Q:左側の白い帽子かぶられている?)
ええ、この戦闘帽みたいな登山帽みたいなね」

近森先生は当時、千葉県八日市場市でも調査をしたということですが…

近森名誉教授:
「八日市場には一度も来たことのない我々の仲間もここには居るもんですからね
 あぁ、これは膝子に間違いないなと」

発掘に携わった本人が、現場はさいたま市膝子と断言。

■さいたま市膝子の発掘現場で分かったこと

大学に残る当時の資料に基づき、現場に向かいました。

1959年と現在の風景を比較すると…地形がよく似ています。

こちらは、当時近森先生が記録した膝子発掘現場の略図です。
略図では舟の発掘地点が4つあります。

略図にある水路北側のA地点。
記録映像では、土が埋めなおされ、梱包用の俵が散らばっているようにも見えます。

発掘調査があった60年以上前から、現場近くに住んでいる住民の方に、記録映像を見てもらいました。

発掘現場近くの住民 森田さん:
「(Q:(記録映像は)膝子の風景に似ている?)
 似てるなぁ」

64年前の記憶、思い出すには時間が経ちすぎていましたがご自宅には、記録映像の1年前、1958年の膝子での発掘調査の写真が保管されていました。

その時の調査は、ニュースを聞いた昭和天皇の弟、三笠宮崇仁さまが現場に来られたことでも話題になりました。

近森先生は、当時の考古学に対する熱は、今以上に高かったと解説します。

慶應義塾大学 近森正名誉教授:
「まぁ当時はね、戦争であの日本のあらゆる価値がひっくり返りましたから。
日本人とは何か?日本人はなんだ?」
「そんなことがあって、丸木舟は今より以上に
あの日本人の来歴を知るっていうね大きなテーマだったことは間違いない」

■映像の丸木舟は今どこに…

そのような時代の中、発掘された丸木舟。
群馬県内の倉庫で今も保管されていました。

慶應義塾大学 安藤広道教授:
「今ここにですね、あるのは膝子で出土した舟ですね。」

安藤教授:
「あの映像にあったB地点の丸木舟はここにはないんですけれども、その日、同じ日に出土した丸木舟が3点ですね。
それから前の年に出土した丸木舟が1点ここに収蔵されています。」

では映像に映っていたBの舟はどこにあるのでしょう?
小倉さんはこう推察します。

岩月郷土資料館 小倉さん:
「当時、調査に携わってくださった宮内正勝先生という方がいらっしゃるんですけども、先生のお話だと当時ですね保管してた場所が
火災を受けて焼失したという記録があるそうなので、場合によってはその所にあった丸木舟が
調査をされた丸木舟だという可能性はあるんじゃないかと思います」

残念ながら、映像の舟は燃えてしまったようですが、どのくらい古いものだったのでしょう。

安藤教授:
「(Q:時代いつのもの?)
現状では、一緒に出てきた土器から考えて、縄文時代の終わりごろですね。
おそらく今からだと3千数百年前ぐらいのものである可能性が高いと」

■映像確認で膝子の丸木舟の再評価に期待

丸太を縦に割り、中をくりぬいて作られた丸木舟。
縄文時代にはどのように利用されていたのでしょうか?

安藤教授:
「縄文時代の人達は自然の資源を色々利用して、多角的に利用して暮らしているわけですから、その利用していた環境の一つに
この丸木舟を使うような沼地のような湿地のような場所もあって、そのためにこうした湿地を移動するための手段である丸木舟を利用していたと」

安藤教授は、発掘調査の様子が映像で確認できた意味は大きいと語ります。

安藤教授:
「どういった丸木舟がどういうきっかけで、どれだけ出土したのかっていうことを、きちっとこの機会に記録をまとめておくことは非常に大切だという風に思っています。」
「それによってですね膝子という場所が縄文時代の研究するうえですね、どういう意味を持つ場所なのかっていうことの再評価も進んでいくんじゃないかと思います。」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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