極秘の外交文書公開…自衛隊の海外派遣めぐる背景 大越キャスターが見た湾岸戦争(2022年12月21日)

極秘の外交文書公開…自衛隊の海外派遣めぐる背景 大越キャスターが見た湾岸戦争(2022年12月21日)

極秘の外交文書公開…自衛隊の海外派遣めぐる背景 大越キャスターが見た湾岸戦争(2022年12月21日)

外務省は21日、30年以上前の外交文書の一部を公開しました。19冊のファイル、6800ページを超える1991年の外交文書です。1991年といえば、湾岸戦争が始まった年。ペルシャ湾に自衛隊の機雷掃海艇を派遣し、日本史の転換点でした。

湾岸戦争の経緯を改めて見ていきます。

1990年8月。イラクがクウェートに侵攻します。その後、ブッシュ大統領が海部総理に自衛隊派遣を要請。海部総理は、可否の即答を避けるも、包括的支援策を発表し、10億ドルの資金援助を決めました。

1991年1月。多国籍軍によるイラクへの攻撃が開始。戦闘開始した前後で、日本はさらなる資金援助を決め、総額130億ドルに上りました。

2月に戦闘終結。3月11日、クウェート政府が、アメリカの主要紙に支援国30カ国に対しての感謝の広告を出しますが、そこに日本の名前はありませんでした。そして、4月、自衛隊の海外派遣が閣議決定されました。

今回、公開された外交文書からわかったことです。

戦闘が終結し、クウェート政府が感謝広告を出した後の1991年3月13日、村田良平駐米大使が、政府に自衛隊派遣について「人的貢献を行えなかった。わが国に対する評価を挽回する絶好の機会。決断のタイミングは今からでも決して遅くはない。一部にいかなる反対があろうとも不退転の決意で実行することが必要だ」と訴えていました。

(Q.当時、政権中枢を取材していた大越さん。アメリカを強く意識しているようですが、空気感はどうでしたか)
大越キャスター:当時、総理官邸に詰め、海部内閣の高官に張り付いて取材していました。1991年というと、東西冷戦構造が崩れて、アメリカ一強へと世界の力関係が移り変わろうとするタイミングです。しかも、日本はアメリカの同盟国なので、そのアメリカから自衛隊の派遣を求められた海部政権は、何とかその要求に答えようとしていたのが本音でした。しかし、世論の根強い反発もあって踏み切れずにいました。そこに、政府・自民党にとって見過ごすことができない出来事がありました。それが3月11日。解放されたクウェートの感謝広告に日本の名前がなかったことで、政府・自民党内に一気に焦りが広がりました。つまり、日本は金を出すだけの“小切手外交”の国だということで、世界中から汚名を着せられてしまう、大きく評価を落としてしまうという危機感が強まりました。21日に外交文書で明らかになった村田駐米大使の進言は、まさにその直後のタイミングをとらえて、対米外交の最前線から、海部総理の判断をうながしたといえます。

(Q.これを機に自衛隊の海外派遣が進んだと思いますが、どのような影響を与えているのでしょうか)
大越キャスター:自衛隊のあり方が大きく転換していきます。自衛隊は、国を守るというのが本来の任務ですが、このときから国際貢献する。そういう存在でもあるという位置づけに変わっていきます。国連のPKO・平和維持活動にも参加できるよう法改正も行われ、海外での活動のハードルは下がっていきました。小泉政権では、日米同盟の強化という路線のなかで、自衛隊がイラクのサマワに駐留して人道支援するなど、自衛隊は海外での活動の幅を広げていきました。そして今月、岸田政権は、自衛隊が敵のミサイル拠点などを攻撃する能力、いわゆる“反撃能力”の保有を盛り込んだ新しい安全保障戦略を閣議決定しました。ここで、もう一度思い出したいのが、日本は“専守防衛”を国是としています。国際情勢の変化によって、その時々の政権の判断で、自衛隊の海外の活動の幅を広げてきましたが、この専守防衛の基本姿勢としっかりと整合性を取ることができているのか。誰よりも、私たち一人一人が、そこをしっかりと見定めていかなければならないと思います。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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