掘り返される表参道の地下鉄工事現場 六本木の「立ち入り禁止区域」は米軍基地(2022年10月1日)
1971年、昭和46年9月、緑は青山墓地、その手前は赤坂プレスセンターという、今も六本木に存在するアメリカ軍基地です。
ヘリポートも備えています。
戦前は陸軍の兵舎があったところで、となりで連隊の兵舎をそのまま使っていたのが、東京大学生産技術研究所です。
墓地手前の空間は、青山葬儀所。
明治時代には陸軍の射撃練習場でした。
右手前に伸びる細長い形に、その名残りを読み取れます。
青山墓地、青山霊園は1874年、明治7年に開設されました。
面積はおよそ26ヘクタール。
墓地には有名人も多く眠っていて、忠犬ハチ公とそのご主人、上野英三郎博士もここに眠っています。
墓地を南北に走る道路。
たくさんの車が止まっています。タクシーが多いでしょうか。
2022年の現在は、北と南それぞれから墓地の中央に向かっての一方通行ですが、
当時は相互通行だったのがわかります。
その墓地真ん中の交差点です。
車道部分が現在より広く余裕があります。
交差点なのに横断歩道すらありません。
一帯はタクシーの休憩所になっていて、弁当屋さんも出ています。
今はこの役割を、墓地とアメリカ軍基地の間にある青山公園が担っています。
当時、この辺りでは地下鉄千代田線の建設工事が大詰めを迎えていました。
見えてきた東西の道の下を、マシンでモグラのように穴を掘り進めていく地上への負担が少ない工法が採られていました。
青山橋を渡ります。
通りの向こうは立山墓地。
斎藤茂吉も暮らした青山脳病院の跡地を越えて、プールが見える青南小学校で方向を変え、ここから表参道が始まります。
大きな石灯籠が明治神宮への参道であることを示します。
千代田線の工事のため、表参道全体に鉄板が敷き詰められています。
ここから先は、開削工法という、地上から掘ってトンネル部分を作り、埋め戻すという方法が採られていました。
一方で、青山ダイヤモンドホールの建築工事も進んでいます。
工事だらけです。
青山通りの下には地下鉄銀座線の「神宮前」駅がありましたが、千代田線の開通で「表参道」駅と名前を変えます。
ただしばらくは、いったん地上に出ての乗り換えでした。
表参道の通りを明治神宮方向に進みます。
同潤会アパートとその向かいのオリエンタルバザー、表参道のシンボル的存在です。
明治通りとの交差点の手前で旋回します。
画面左下にセントラルアパートが見えます。
こちらも表参道のシンボルの一つでした。
通りが見渡せる歩道橋。
すぐそばに大型の重機が見えます。
工事はすでにラストスパートに入っています。
一時は、これよりはるかに大型の建設機械が数10メートルおきに立ち並んでいた現場でしたが、それもなくなり、地上の様子はだいぶ落ち着いてきました。
千代田線はこの1年後、1972年10月に霞ケ関-代々木公園間が開通します。
千代田線最後の一区間、代々木上原までは、このとき、まだ工事も始まっていませんでした。
全線開通は5年半も先の1978年3月のことでした。
2020年4月、緊急事態宣言下の表参道です。
明治神宮側から進みます。
セントラルアパートは東急プラザ表参道原宿に、同潤会アパートは表参道ヒルズに変わりました。
当時建設中だったダイヤモンドホールも別のビルに建て替えられました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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