99年前の現在地 1923年 関東大震災直後に撮影された映像のあの場所は今(2022年9月5日)【映像記録 news archive】

99年前の現在地 1923年 関東大震災直後に撮影された映像のあの場所は今(2022年9月5日)【映像記録 news archive】

99年前の現在地 1923年 関東大震災直後に撮影された映像のあの場所は今(2022年9月5日)【映像記録 news archive】

1923年9月1日に発生した関東大震災。
その直後の東京を捉えた映像に映っていた場所は、99年の時を経た現在、どうなっているのでしょうか。

【宮城前広場/皇居前広場】
震災発生当日から、被災者を受け入れた宮城前広場、現在の皇居前広場です。
広大な敷地に仮設のテントがズラリと並びます。
皇居のシンボルのひとつ、二重橋の目の前にまでテントが張られていたことが映像から分かります。
バラックも建てられていました。
石垣の形や、富士見櫓との位置関係から見てこの辺りでしょうか。
1923年の映像に映っていた富士見櫓は、木立が成長したのでしょうか、葉の陰に隠れています。

【東京駅 丸の内口】
赤レンガの建物の前にもバラックが並んでいます。
大地震でも崩れなかった頑丈な建物の、窓やレンガの配置から東京駅丸の内口だと考えられます。
東京駅が1914年の建設当時の姿に復元されたのは2012年です。
10年以上前には、この映像から東京駅前だと推察するのは難しかったかもしれません。

【東京會舘】
東京會舘は外壁が、崩れ落ちているのが分かります。
画面右隣の帝国劇場は火災で全焼したことが知られています。
現代的な造りに生まれ変わった今も、2つの建物は隣同士です。

【東京駅丸の内駅前広場】
東京駅の駅舎を背に、丸の内駅前広場から皇居を望んでいます。
画面右手の東京海上ビルは1918年に、左手の郵船ビルはこの年の5月に竣工したばかりでした。
画面左下にも注目です。
駅舎中央のスロープの端は、今も同じ形をしてます。

【日比谷公園】
東京の中心にある憩いの場、日比谷公園。
関東大震災直後の映像に映っていたのは、日比谷見附跡あたりでしょうか。
今も残る石垣沿いに「田舎しるこ」や「ライスカレー」の屋台が出ていたと思われます。
日比谷公園は築地本願寺による被災者支援の重要な拠点になりました。

大正三美人とも称された人気の歌人・九条武子さんらが慈善活動を展開し、子どもたちのお遊戯を笑顔で見つめていたのは日比谷公園の第一花壇あたりでしょうか。
背の高い棕櫚の木は、今も同じたたずまいで公園を訪れる人を見守ります。
棕櫚は成長が遅く寿命が長いということなので、周囲をぐるぐる回っていた大正時代の子どもたちのことも見つめていたかもしれません。

【神田橋】
大震災で原型が分からないほどにうねり、崩落した神田橋。
特徴的な石垣も、今は高速の料金所で見えにくくなりました。
橋を首都高速の都心環状線が横切ります。

【新常盤橋】
遠くに黒い煙を望む「新常盤橋」は路面電車、市電を通すために架けられた3連アーチの橋で、この時はまだできて3年でした。
現在の橋は、東北新幹線の高架を作るため、1988年にかけ替えられたものです。

【上野広小路】
上野広小路のドームが目立つ帝国博品館はこの翌日、正面の壁だけを残して焼け落ちてしまいます。
現在の画面左に見える松坂屋も、当時、焼けてしまいましたが再建しました。

【上野公園】
上野広小路から北を見ると、上野公園の南端です。
上野の山を目指した避難者が大勢いたことがこの映像から分かります。
上野公園は燃えず、ここに避難した大勢の人たちの命を救いました。
当時は御料地でしたが、翌年に宮内省から東京市に下賜されます。
「上野恩賜公園」となった現在は、多くの文教施設を擁する東京の芸術や文化の発信地です。

【上野駅】
「上野の山」の愛称から分かるように、高台になっている上野公園からこの上野駅の映像は撮影されました。
炎が迫っていたことが分かります。
大勢の人がひしめき合った上野駅も震災の翌日に焼けてしまいました。

【日暮里駅】
東京を脱出する電車を待つ人で溢れたという日暮里駅周辺とみられる映像です。
地形からみて、御殿坂あたりから撮影された映像だとみられます。

【牛込区東五軒町/新宿区東五軒町】
同様に、関東大震災のイメージとしてよく知られ、当時の牛込区東五軒町とされているひび割れた道路。
画面左に川と橋が見えます。
現在の新宿区東五軒町。神田川沿いの目白通りの映像です。
現在は上に首都高速5号池袋線が走っています。

【京橋区木挽町/中央区銀座7丁目】
屋根が崩れ落ちたた洋館は、木挽町にあった平民病院です。
1915年に医師で社会運動家の加藤時次郎が、貧しい人に向けて開設しました。
場所は現在の中央区銀座7丁目にあたります。

【銀座通り】
華やかな繁栄から一転、震災後は崩れた洋館がずらり並んでいた銀座通りを自転車が颯爽と駆け抜けます。
かつての賑わいと華やかさはとっくに取り戻しています。
建物は直線的な現代のスタイルになりました。

【京橋から撮影】
99年前の動画で、関東大震災前の“ありし日”の東京の映像として使われているカットは、京橋から撮影されたものです。
カメラはゆっくりと南に向いて、現在の銀座1丁目あたりを捉えた後、南西方向に伸びる中央通り、銀座通りを映し出します。
建物が高くなり、遠くまで見渡すことはできなくなりましたが、道路の配置は変わっていません。

【愛宕山から撮影】
同じく、俯瞰の映像です。
こちらは当時の絶景スポット、愛宕山から撮影されたものです。
北斎や広重、国芳の浮世絵にも愛宕山から遠く東京湾を望む風景を描いたものがあります。
映像は南東方向から北に向けて、復興しつつある東京を映します。
自然の山として東京の最高峰である、愛宕山の標高は25.7メートル。
現在はぐるりとビルに囲まれています。
周囲で開発も進んでいるため、この景色ももうすぐ見られなくなるかも知れません。
北側にそびえるのは虎ノ門ヒルズ。
愛宕山を見下ろしています。

【本所被服廠跡/横網町公園】
およそ4万人が火災で命を落とした本所被服廠跡に、京都 西本願寺からの僧侶が訪れた際の様子です。
この場所は現在、東京都立横網町公園になっています。
この悲劇を伝える碑や展示があるほか、関東大震災と、その後の東京大空襲の犠牲者の遺骨を納める慰霊堂が建てられています。

【築地本願寺】
この映像を制作した京都・西本願寺の東京別院、築地本願寺は地震は耐えたものの、その後の火災で大半が焼失しました。
築地本願寺の本堂は1934年に再建されました。
インドなどアジアの古代仏教建築の要素を取り入れた斬新な外観で国の重要文化財に指定されています。
それぞれがシルクロードを旅した本願寺の大谷光瑞氏が依頼し、建築家の伊東忠太氏が設計しました。
境内は一時的な集合場所として、地域の防災の一端も担っています。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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