1967年 江戸城拝見、そして皇居新宮殿の槌音【東京ヘリ撮50年】(2022年8月5日)

1967年 江戸城拝見、そして皇居新宮殿の槌音【東京ヘリ撮50年】(2022年8月5日)

1967年 江戸城拝見、そして皇居新宮殿の槌音【東京ヘリ撮50年】(2022年8月5日)

半蔵門の上空からスタートします。

1967年、昭和42年7月の映像です。

さて、8月1日は八朔と言いますが、
徳川家康が、のちに江戸幕府を開くこの江戸城、
今の皇居に入った日とされています。

桜田濠に沿って南へ回っていきます。
このあたり、土塁だけで石垣はないように見えます。
実際には水面に近いところと一番上のところには石垣が組まれています。

右奥に桜田門が見えます。
カメラは左奥に見えてきた、建設中の新宮殿に寄っていきます。
江戸城の時代には西の丸と呼ばれていた場所です。
工事が進み、宮殿の形がわかるようになってきました。

その手前中央には伏見櫓が見えます。
明治になって皇居が遷ってくると、宮殿が建てられました。
戦争で焼け落ちましたが、20年あまりがたって新しく建設工事中です。

左側に二重橋が見えてきました。
皇居前広場を北に進み、坂下門です。
その後ろが宮内庁です。
当時、仮宮殿がこの建物の中にありました。

富士見櫓、江戸城三の丸です。
重厚な建物はかつての枢密院、大手門。江戸城の正門です。
宮内庁病院、奥は江戸城二の丸。
かつては三の丸との間に堀がありました。
画面手前、堀のこちら側には和気清麻呂像があります。
右から現れたのが平川門。
奥中央が二の丸御殿のあったあたりです。
濠が複雑に入り組んでいます。

右から見えてきた八角形の建物が桃華楽堂です。
香淳皇后還暦のお祝いとして
前の年にできたばかりの音楽堂です。

江戸城天守台。
北桔橋門が手前に見えます。
西桔橋門。
天守台の右側に御殿があり、左から大奥、中奥、と呼ばれていました。

この3年前までは、昭和天皇の4人の内親王のお住まい、呉竹寮がありました。
手前に見えるのは蓮池濠。

そして再び富士見櫓です。
さて八朔ですが、江戸幕府が開かれると、
この日は、将軍以下、諸大名、旗本はじめ諸役人、特別に許された町人に至るまで
全員が白ずくめの装いで、祝賀の儀式に臨んだということです。

その舞台、江戸城の本丸や、二の丸・三の丸だった場所は、
今、皇居東御苑と呼ばれ、この時には非公開でしたが、
翌年1968年から多くの部分が一般公開されました。
月曜日と金曜日は休みですが、無料で入園できます。

首都高速は、都心環状線がまさに完成したばかりです。
画面奥に建設中の新宮殿が見えます。

乾門です。
ここから伸びる乾通りは、桜の季節、
紅葉の季節には私たちも通り抜けできます。

吹上御苑の緑です。
江戸時代の初めごろは、大名屋敷が並んでいました。

千鳥ケ淵です。
道路のこちら側には、戦争の爪痕も残っています。
半蔵門につづきます。

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今年、2022年の皇居です。

右手前が東御苑、かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸。
左側の、緑の屋根の大きな建物が宮殿です。
そのすぐ右に宮内庁。
左手前は皇居前広場です。

宮殿の一番手前、
細長い建物がレセプションなどを行う長和殿、
その向こうが重要な儀式が行われる正殿、
右側が晩餐会などの宴会が開かれる豊明殿です。

皇居前広場から宮殿の左側につながる二つの橋が
正門石橋と正門鉄橋・二重橋、
宮内庁につながるのが坂下門、
右側の東御苑へつづくのが桔梗門です。
画面左側には、桜田門も見えます。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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