【沖縄復帰50年】今も残る米軍基地問題…「何度も嫌な思い」「本当に怖かった」住民の思い
沖縄が日本に復帰して15日で50年を迎えます。いまだ沖縄には日本全国にあるアメリカ軍基地のおよそ7割が集中しています。基地のそばで暮らす住民の思いを取材しました。
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先月、沖縄県嘉手納町の「道の駅」が、コロナ禍で冷え込む観光を盛り上げようとリニューアルされました。最大の目玉は展望台。そこから見えるのは、嘉手納基地を一日中飛び交う軍用機。
町は、日本で最もアメリカ軍基地に近い道の駅として、観光の起爆剤にしたい考えです。
一方、基地の存在に50年以上苦しんできた人も。沖縄復帰の3年前に理髪店を開いた津覇實孝さん(80)です。
津覇さん「40年くらい前でしょうか、ベトナム戦争のときにはB52爆撃機ありますよね。音も激しいし排気ガスもすごいし熱風がくる。何度も嫌な思いしてますから」
店があるのは基地の目と鼻の先。その被害は半世紀たった今も。
津覇さん「けたたましい爆音も排気ガスもいっこうに変わらない。そこで子どもたち、孫を住まわそうという気持ちがだんだん薄れてきてますね」
今年1月、津覇さんたちが、騒音被害への賠償・米軍機の飛行禁止などを求めて起こした裁判。今回で4回目です。
騒音被害への賠償は認められてきましたが、そのほかの訴えはことごとく退けられてきました。津覇さんは、変わらぬ現状の一因は、日米地位協定と考えています。
津覇さん「他国の軍隊が、なんで日本の法律・憲法よりも上なのか」
米軍基地による被害は騒音だけではありません。オスプレイなど50機以上が常駐し、宜野湾市の中心部にある普天間基地では、これまで、軍用機墜落・部品落下など命に関わる事故がたびたび発生。その恐怖を身をもって体験した女性がいました。3人の子どもを育てる具志堅美乃さん(44)です。
具志堅さん「下の子たちが事故があって、とうとう(きたか)と思ってたときにその1週間後…」
5年前。長女と二女が通う保育園にアメリカ軍ヘリコプターの部品が落下。その6日後には、長男が通う小学校の校庭にヘリの窓枠が落下したのです。
具志堅さん「怖かったです。本当に怖かった。事故って起きるんだってびっくりして、本当にやばいって思いました」
子どもたちの安全を守るため、具志堅さんは他の母親たちと声を上げることを決意。防衛省や外務省に保育園や学校上空での軍用機飛行禁止を何度も要請してきました。
しかし、事故原因や再発防止策について、明確な回答はなかったといいます。
具志堅さん「わじわじー(腹立たしい)しかないさ!ふざけるなよですよね。たぶん、この政府の人たちとか分かってるんだよ、地位協定があるから何もできないってことを。日本に復帰したからお祝いじゃなくて、日米地位協定が見直しされたらお祝いしたい」
(2022年5月14日放送 「news every.」より)
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