「すごく幸せ」ウクライナから日本へ避難 空港で涙の再会(2022年3月19日)
ウクライナからの避難者を受け入れている日本。16日までに、73人が入国しています。
キエフから避難してくる母を待つ女性:「私の母がここに来ますので、迎えに来ました。そんな理由(戦争からの避難)で会うのが悲しい気持ちもありますし、どうなるか分からないし、会うこと自体がすごく幸せ。日本に感謝しています」
空港に駆け付けた男性と女性。ウクライナから避難してくる兄弟がまもなく到着するといいます。
妹・畠山レイ子さん:「戦争が始まったから、もう会えないと思っていた。もう言葉も出ない。心臓がドキドキしている」
兄・降籏信捷さん:「弟が日本に来られて、本当にうれしいです」
降籏英捷さん(78)は日本への帰国を切望していました。
1943年、太平洋戦争の真っただ中に生まれた英捷さん。当時、一家が暮らしていたのが「樺太」です。
終戦を迎えたのは英捷さんが2歳になるころ。樺太にいた大半の日本人は本土に引き上げましたが、降旗さん一家は引き上げることができず、旧ソ連での厳しい生活を余儀なくされました。
その後、英捷さんは現地で就職。結婚を経て、妻の出身地であるウクライナに移住しました。
兄妹は20年ほど前に日本へ帰国しましたが、英捷さんだけはウクライナにとどまったのです。
そんななか、英捷さんが生活していたのはキエフの西に位置するジトーミル。ロシアによる軍事侵攻で激しい攻撃を受けた都市です。
命からがら避難した英捷さん。ポーランドを経由して19日午後、家族とともにようやく日本にたどり着いたのです。
ウクライナから避難・降籏英捷さん:「兄も妹も出迎えてくれておりまして、今回は私とともに家族も一緒に来ています。家族も元気で喜んでいます」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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