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津波に負けず漁師に 独り立ちへ奮闘
被災地の今を見つめる「つなぐ、つながる」プロジェクト。きょうは震災発生当時、小学生だった宮城県気仙沼市の若者の今です。中学卒業後、漁師の父に弟子入りして修行を重ね、21歳となった現在、独り立ちに向け奮闘しています。
宮城県気仙沼市の沖合で魚を追いかける親子。紺野幸一さん(65)、そして長男の岬さん(21)です。2人で漁を始めて7年、あうんの呼吸で網を上げるとメバルなどが揚がりました。
漁師 紺野岬さん
「楽しいよ。魚がいっぱい取れた時は」
岬さんが漁師になることを決意したのは10歳の時、津波がきっかけでした。
漁師 紺野岬さん
「海に助けられてきたんだから、海を憎んでも仕方がない」
津波で自宅と船が流されましたが、父、幸一さんは1年半後には漁を再開。その姿にひかれた岬さんは、中学卒業と同時に父に弟子入りしました。
漁師 紺野岬さん
「集中集中。しゃべっていると網に足引っかかる」
しかし、幸一さんが手取り足取り教えることはありませんでした。
漁師 紺野岬さん
「まだまだ。お父さんみたいにうまくないから」
漁師 紺野幸一さん
「俺は教えるより『見て覚えろ』というやり方だから。まだまだ50点」
それから7年、岬さんは網の仕掛け方や船の操縦など、漁師のいろはを一通り身につけました。しかし父は・・・
漁師 紺野幸一さん
「50点プラス20点。あそこに行けば魚がいるか、こっちに行けばどうか、駆け引き。そこまで考えてないのでは」
漁師 紺野岬さん
「自分で全部できるように頑張るしかない」
そんな岬さんのストレス解消法はカラオケです。
漁師 紺野岬さん
「何かさ、いろいろあるじゃん。仕事してても、家にいても。ここに来るとぱーっと飛んじゃう」
岬さんは、あるプレッシャーを感じていました。
漁師 紺野幸一さん
「痛い」
4年ほど前、幸一さんは関節の病で腰などに10数本のボルトを入れる手術を受けました。
漁師 紺野幸一さん
「10本の金具でどうにか立っている」
岬さんは、父を間近に見てきて一緒に船に乗れる時間はそう長くはないと感じ始めています。
漁師 紺野岬さん
「独りで漁をするのが目に見えてきた。俺は漁師しかない」
岬さんは、独り立ちを目指しきょうも父と一緒に魚を追いかけています。
(11日12:27)
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