ウクライナ現地報告 南西部の街でも日常が一変 学校の体育館で作っていたのは・・・

ウクライナ現地報告 南西部の街でも日常が一変 学校の体育館で作っていたのは・・・

ウクライナ現地報告 南西部の街でも日常が一変 学校の体育館で作っていたのは・・・

ロシアの侵攻によってウクライナ国内では前線から離れた街でも生活が一変しています。ウクライナ南西部の街からの報告です。

モルドバとの国境にある街、モヒリーウ・ポジーリシキー。人口4万人ほどの街は戦闘の前線からは遠いものの、雰囲気はどことなく張りつめています。電気工具を売る店の前で、男性たちが作っているのは、検問などで車の通行を止めるためのものです。少人数で始めたところ協力者が増え、いまや3交代で24時間休みなく作業をしているといいます。

店員
「まるで工場だね。人々が寄付していくので、それを加工するんです」

こちらの小学校では・・・

記者
「こちら学校の体育館なんですけど、女性を中心に迷彩ネットを作っています」

陣地や軍用車両などをわかりにくくするための迷彩ネットが作られていました。作業しているのは児童の保護者や近所の人たち。子どもたちも参加しています。使われているネットは漁師たちから寄付された網だといいます。

スベトラーナさん
「みんなで力を合わせれば、ロシアに勝利することができます」

国境の街だけに、国外に出ようとする避難民たちの数も日に日に増えていて、学校は受け入れセンターの役割も果たしています。教室では、市民から寄付された、大人、子ども用の服が配られていました。給食室のスタッフは、避難民用の食事を作っています。

「この食材は全部街の人が持ってきてくれました。私たちはこれで食事を作っています」

まだ泥の付いた人参も。取材中にも市民が次々と食材を持ってきていました。

アンドレイ・ゴリベッツ校長
「教室を難民の宿泊施設に変え、体育の更衣室をシェルターに変えてしまうのは難しい決断でした。プーチンが作り出したこの悲劇は、遅かれ早かれ終わるでしょう。私たちはまた教育が始まることを信じています」

この街の市長に子どもたちの教育機会の見通しについて聞くと・・・

モヒリーウ・ポジーリシキー市 グルクマニューク市長
「これまでの戦争とは違います。“戦争は一部の地域だけで他のところは 学校も普通の生活もある”というものではなく、国全体が戦争なんです」

キエフから避難してきたボグダンくん。家族とともに避難してきて、教室に寝泊まりしています。

ボグダンくん(12)
「隣の町にロケット弾が落ちるまで何が起きているかよくわかりませんでした」

将来は何になりたいと聞くと・・・

ボクダンくん(12)
「まだわからないけど、できれば建築家になりたい。ぼく、学校の成績はいいんだよ」

ほんの10日前までは普通に授業をしていた学校。その変わりようが、戦争の理不尽さを映しています。

取材したあきば記者がウクライナの南西部の街にいます。今、そちらはどのような状況でしょうか。

VTRでご紹介した街とは別の街、チェルノフツィに来ています。こちらルーマニア国境に近い街なんですが、一見、市内は平穏なんですが、やはり閉まっている店もありますし、そして、銀行の前には長い列もできています。戦闘からは相当距離があっても、あっという間に周りの世界が変わっていく、そんな感覚をみなさん持っていらっしゃるようです。

VTRでご紹介したモヒリーウ・ボジーリシキー、一見、平穏に見えるのですが、やはり緊張感は高まっていて、私たちが普通の街の風景を撮影していても、一般の方々が、何をしているんだ、とかなり強い調子で疑いの言葉をかけてくる、ということがままありました。

また、市役所で話を聞いていて、市の担当者が、インスリンが足りなくなっている、と言っていました。彼女が言うには、国内のインスリンは東部のハリコフで多く作られているそうなんですが、そのハリコフが攻撃を受け、製造も、運搬も難しくなっている影響で、ここまでインスリンが届かない。しかも避難民の中にも必要とする方もいらっしゃるので、全体として足りなくなってくるということでした。

たとえこのあたりで爆撃や銃撃戦が起きていなくても、そうした健康や生命を維持するような、支えているようなシステムが少しずつ戦争で狂っていく、そんなことを実感しました。
(07日18:01)

TBS NEWSカテゴリの最新記事