残る内戦の傷跡…カンボジア女性の自立支援 過酷な場所で働く日本人の思い(2023年9月18日)

残る内戦の傷跡…カンボジア女性の自立支援 過酷な場所で働く日本人の思い(2023年9月18日)

残る内戦の傷跡…カンボジア女性の自立支援 過酷な場所で働く日本人の思い(2023年9月18日)

 内戦の傷あとが残るカンボジアに渡った女性が、環境に恵まれず教育が受けられない女性の自立支援をする活動を行っている。

■内戦の痕跡…過酷な場所で働く日本人

 カンボジア西部にあるバッタンバン州。豊かな自然が広がるこの地域は、1970年代からおよそ20年続いた内戦時代に最激戦地の一つとなった。そのため、数多くの地雷が埋められ、除去作業は今も続いている。

 そんな過酷な場所で働く日本人がいる。

 「カンボジアコットンクラブ」チームリーダー 板東由佳さん(36):「現地のNGOでお手伝いさせて頂いています。女性の自立の支援をするNGOです」

 内戦の傷跡が残るバッタンバンでは貧困家庭も多い。特に女性は教育を受けられなかったことから、経済的に苦しんでいるという。

 そうした女性の自立を支援するため、2007年に日本人がカンボジアコットンクラブというNGO団体を設立した。このNGOで7年前から働き始めた板東さんは現在、チームリーダーとして物作りを通して人材育成を行っている。

 板東さん:「自立して生きていけるようになってほしい。学ぶことってもっと楽しいんだよと、仕事を通じて知ってほしい」

■100年後の未来にも…持続できるものづくり

 そんな板東さんは自立を支援する一方で、行っていることがある。

 板東さん:「内戦になった後、土地が荒れて、技術だったり(綿花の)産地が廃れてなくなってしまったので、地雷原を綿畑に変えていくという。暗いイメージから明るいイメージに変えられたらなと」

 地雷撤去後、荒れ地となった土地に元々多く栽培されていた綿花を地域の農家と連携して植え、将来的には一面、綿花畑に変えたいという。

 栽培には農薬などを使わず、環境への負荷を抑え、「100年後の未来にも持続できるものづくり」を目指している。

 さらに収穫された綿花を使い、ある試みをしている。

 板東さん:「コットン、綿を使って革のような素材というか」

 綿を加工して、革製品の質感を再現した「コットンレザー」の商品開発を進めている。

 綿花から作った「コットンレザー」を使用したトートバッグやパスポートケースは、まだまだ試作段階だという。

 板東さん:「私的には、本物の革に近いなと思っています」

■17歳の職探し…父が仕事中の事故で下半身不随に

 現在、カンボジアコットンクラブには10代から30代の女性スタッフが9人在籍している。

 スタッフ(30代):「ここでは字の読み書きもできない私に、ゼロから仕事を教えてくれました」

 3カ月前から働いているというチャン・セライさん(17)は、「仕事をさせてもらって、とても助かっています。自宅の近くで働けるので、親の面倒を見ることができて、とてもうれしいです」と話す。

 これまでは、父親がタイへ出稼ぎに行き、家計を支えていた。しかし、半年ほど前、仕事中の事故で下半身不随になった。

 チャン・セライさん:「私が仕事を探しても、どこも雇ってくれませんでした。どこも初心者を雇わないんです」

 彼女は家計を支えるために職を探したが、17歳のチャンさんが働ける場所は見つからなかった。

 そんななか、カンボジアコットンクラブを知り、板東さんに「働きたい」と懇願した。チャンさんの境遇を知った板東さんは、彼女を採用した。

 チャンさん:「私の収入で家族が生活できるようになりました。父も感謝してくれています」

 カンボジアに来て7年が経過し、女性たちを支援し続ける板東さん。そこには、ある思いがあった。

■カンボジアへ…板東さんの決心とは

 7年前からカンボジアで女性の自立支援を続ける板東さんは、なぜこの場所で働くようになったのか。それには、自身の幼少時の出来事が関係しているという。

 板東さん:「小学校、中学校時代は色々と家庭(内で)のいざこざもあって、父も中学校の時に亡くなったりもして。多分どこかで消極的になっていた自分がいて」

 徳島県で生まれ育った板東さんは9歳の時、両親が離婚し母親と生活することになった。その3年後、12歳の時に父親が心筋梗塞で亡くなり、養育費が途絶えたことで経済的にも不安を抱えるようになったという。

 同級生が高校受験を目指すなか、ある思いが…。

 板東さん:「普通に考えて子ども心にも、うちは裕福じゃないと分かるじゃないですか。中学卒業したら働こうと思っていました」

 しかし、娘の将来を思う母親に説得され高校に進学。その後、「人を救う仕事に就きたい」という思いから救急救命士として働いていた。

 29歳の時、友人を通してカンボジアコットンクラブの存在を知った板東さんは、ある決心をする。

 板東さん:「経済的に厳しい子だったり、学校に通っていない孤児だったり、そういう子が集まって一緒に、ゼロからスタートしてやっている団体と知って、(私が働くのは)ここじゃないかなと思った」

 すぐに現地に問い合わせ、2カ月後にはカンボジアで働き始めていた。

■国内外から高評価…板東さんの挑戦は続く

 これまでカンボジアコットンクラブでは、30人ほどの女性の自立支援を行ってきた。そのなかには、政府の関係団体や大手企業に採用された女性もいるという。

 板東さんたちの取り組みは、国内外から高く評価されている。

 国際機関の職員:「彼女たちの取り組みは、農業の再生という観点からも、女性の地位向上という観点からみても、とても素晴らしいと思います」

 彼女たちと共に…板東さんの挑戦はまだまだ続いている。

 板東さん:「私にとって家族というか、子どもみたいなものなんです。スタッフは。だから、彼女たちがここで働き続ける限り、私がここを投げ出すわけにはいかないなって。(いつか)きれいなコットンボール(綿の実)がたくさんはじけるような故郷に、自分たちが変えていけたら、変えていこうって」

■チームリーダー・板東さんの夢とは?

 カンボジアで女性の自立支援を行う板東さんが思い描く「未来図」を描いた。

 板東さんに書いていただいた画の中央には、後ろ姿の女性が歩く様子が描かれている。この女性は板東さんで、その横にいるのが愛犬のモモだ。

 板東さんは「カンボジアのスタッフだけでコットンクラブを運営できるようにして、自分たちが去ることが夢だ」と話している。

(「大下容子ワイド!スクランブル」2023年9月18日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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