妻を失い「“妄想”の一言で片付かない」京アニ放火殺人4年経て初公判 遺族の思い(2023年9月5日)
36人が犠牲になった京都アニメーションの放火殺人事件。4年あまりを経て、5日、初公判が開かれました。
裁判の行方をその目で見ようと、大勢の人が列を作りました。用意された傍聴席35席に対して、希望者は500人に上りました。
傍聴希望者:「自分自身も京アニの大ファンなので、歯がゆさといいますか、そういうのがあったので、本人の口から自分の耳で、直接、真実を聞きたいと思って来た」
殺人や放火などの罪に問われている青葉真司被告。自らも全身にやけどを負い、生死の境をさまよいました。治療の末、逮捕されたのは、事件の約10カ月後のことでした。
大切な人が、なぜ殺される事態になったのか。遺族の一人は、裁判にその答えを求めようとしています。
寺脇晶子さん(当時44)は、『池田晶子』の名前で活動していた看板アニメーターの1人です。京アニの名を世に知らしめた『涼宮ハルヒの憂鬱』や『響け!ユーフォニアム』などで、キャラクターデザインを手掛けていました。事件によって、夫(50)は妻を失い、子どもは母親を失いました。
寺脇(池田)晶子さんの夫(2021年):「(事件直後の息子は)今、考えれば、気丈を装ってた。まったく動じず、悲しみもせず、泣きもせず。ただ、普通にしてましたね。それが気づいたのが1週間かな。僕がふっと起きたときに、布団にくるまって泣いてたんですよ。それを僕は見つけてあげられなかったんですよ」
小学2年だった息子は、6年生になりました。医者になる夢を叶えるため、中学受験の勉強に取り組んでいます。
5日に始まった裁判。夫は、被害者参加制度を使い、青葉被告に、直接、心の内を聞こうと考えています。
寺脇(池田)晶子さんの夫:「パパがちゃんと裁判に出て、青葉さんのど真ん前に立って、パパがはっきり言いたいことを言って、質問できることは質問してきてあげるって」
寺脇(池田)晶子さんの息子:「何で、そんなことをしたのかが知れたらそれでいいかな。理由もなく、そんなことをされたら納得いかへんから」
石田奈央美さん(当時49)は、キャラクターや背景の色を決める色彩設計を担っていた一人です。繊細な色使いで『聲の形』などの作品に命を吹き込んできました。
事件直後、石田さんの父親(当時83)は、こう語っていました。
石田奈央美さんの父(2019年):「大事な大事な宝がなくなったみたい。親を思う最高の娘だった。悔しいというか、残念というか。そりゃたまりませんわね」
石田さんの父親も、裁判への出席を望んでいましたが、初公判を1カ月後に控えた先月5日、亡くなりました。残された母親(82)は、1人では裁判に向き合う自信が、もうないといいます。
石田奈央美さんの母:「年いってから娘に死なれて、そらもう寂しいですわ。娘のことは、いまだに涙出ます。何で火をつけたのか。何も関係ない人を、結局、火使ってようけ殺してますやん。それ(動機)はやっぱり聞きたいですわな」
午前10時半過ぎに始まった初公判。傍聴席とアクリル板で区切られたのは、法廷での警備が理由だそうです。検察の後ろには、たくさんの席が設けられ、被害者や遺族らが並びます。
青葉真司被告の罪状認否:「私がしたことに間違いありません。当時は、こうするしかないと思っていたが、こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、現在では、やりすぎたと思っています」
弁護側も、起訴内容について争わない方針です。最大の争点は、被告の責任能力。弁護側は「妄想に囚われていて、心神喪失で無罪。または心神耗弱のため、減刑されるべきである」としています。
一方、検察側は「被告には、完全責任能力があったと主張します。筋違いな恨みによる復讐である」としました。青葉被告のパーソナリティーに着目すべきとして、検察側は、幼少期からの長い道のりを辿ります。両親が離婚した9歳から引っ越しと転校を繰り返していたそうです。貧困に加え、父親からの虐待もあったといいます。
検察は「親とのコミュニケーション不足が、独りよがりで疑い深いパーソナリティーにつながった」と説明。そして、30代前半には、「京アニの作品に感銘を受けていて、京アニの有名な編集者にほめられ、女性監督と恋愛関係にあるとの妄想を抱いていた」といいます。
その後、強盗事件を起こして、3年6カ月の実刑判決を受けます。刑務所内では違反を繰り返し、統合失調症との診断を受けたそうです。出所後、京アニの作品募集に応募するも落選。青葉被告は「10年かけた渾身の力作。金字塔を落選させられたうえ、小説のアイデアを盗用された」と供述していましたが、京アニが盗作した事実はありませんでした。
検察側の冒頭陳述では、事件の前、別の場所でも無差別殺人を計画していたことが明らかになりました。京都で事件を起こす、ちょうど1カ月前。自宅のあったさいたま市でのこと。青葉被告は包丁6本を持って、大宮駅前に行き、無差別殺人を実行しようとしたが、断念したといいます。
そして、事件当日。
検察側は「犯行直前まで、実行するか引き返すかためらっていた」と指摘しました。一方、弁護側は「青葉さんにとって、この事件は、人生をもてあそぶ闇の人物への対抗手段、反撃だった。闇の人物と京アニが自分に嫌がらせをしていると考えていた」といいます。
午後からの証拠調べでは、亡くなった36人の死因が、ひとりひとり読み上げられています。17人は実名と共に。その文字が映し出されたモニターを、青葉被告は、食い入るように見つめていました。
寺脇晶子さんの名前が読み上げられた瞬間、傍聴していた夫は、天井を見上げました。初公判後、こう語りました。
寺脇(池田)晶子さんの夫:「正直言うと、何を思ったかじゃなく、放心状態だったかな。晶子から本当に、たびたび、話を聞いていた方々のお名前も実名で挙げられた中だけでも、たくさんあったので。晶子だけじゃなしに、ほかのいろんな方々の犠牲になられた方々を改めて、あれが一番きつかった。これだけの事件を起こしたんだなって。それで“妄想”一言では片付かないでしょう。納得できないでしょう」
裁判を通じて、社会全体で考えてほしいことがあるそうです。
寺脇(池田)晶子さんの夫:「何でこんなことが起きたのか。青葉さん、何でこんなことやってしまったのということに、本当にみんなで目を向けてほしいかなって。今回の事件が起こった原因は、人間、誰しもが抱えてる心の闇かなって。それを上手に、お付き合いができなかったのが青葉さん」
◆遺族の取材を続けてきた朝日放送テレビの國友千愛記者に聞きます。
(Q.初公判のきょう、寺脇さんの夫の様子でどのようなことが印象に残りましたか)
初公判の後に取材をさせていただいたのですが、そのなかで一番印象に残ったのは、犠牲者の名前が読み上げられときに「こんなに被害が大きかったのかと思い、聞いていてしんどくなった」とおっしゃっていたことでした。また、初めて目にした青葉被告については、5日朝、自宅から京都地裁までの道中で「青葉被告のことを見たい、見たくないではなく、見なくてはならない」と言っていましたが、実際に法廷に入ってくる青葉被告を初めて見たとき「なぜだか涙が流れた」とおっしゃっていました。
(Q.寺脇さんは、“青葉さん”と呼んでいましたよね)
取材をしていて、寺脇さん親子は何度も「青葉さん」といい、「なぜ、青葉さんと呼んでいるのか」と聞きました。寺脇さんは「息子に青葉被告を恨んだり、復讐したいと思って生きてほしくないからだ」と話していました。それよりも前向きに生きて、いつか青葉被告に対して「僕はこんなにひどいことをされたけれど、夢を叶えることができたよ」と伝えるほうがいいと、息子には話しているといいます。
(Q.石田奈央美さんの遺族を取材していて、どのようなことを感じましたか)
先月、石田奈央美さんのお母さんのところに取材に行った際、奈央美さんの遺影の横にお父さんの遺影が並んでいて、その無念さ、悔しさはいかほどだったのかなと感じました。石田さんのご両親は事件発生直後から「娘のために裁判を見届けたいが、自分たちは高齢だから早く始まってほしい」と何度も何度もおっしゃっていました。今回の裁判では、被害者参加制度もありますが、石田さんのお母さんは、「1人で裁判に向き合うのは辛い」と出席をあきらめようとしています。遺族、それぞれの4年という月日の重さを、取材をしていて痛感しました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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