“70年間看板娘”92歳・名物女将 町の再起に“奮闘”の夏 イベント復活も…台風接近【Jの追跡】(2023年9月2日)

“70年間看板娘”92歳・名物女将 町の再起に“奮闘”の夏 イベント復活も…台風接近【Jの追跡】(2023年9月2日)

“70年間看板娘”92歳・名物女将 町の再起に“奮闘”の夏 イベント復活も…台風接近【Jの追跡】(2023年9月2日)

埼玉県の人気観光地・長瀞の“100年食堂”に70年立ち続ける看板娘・若林不二子さん(92)。コロナ禍で客がゼロになっても店を開け続けることにこだわった、町の名物女将。92歳の今なお、調理に皿洗い、接客にと元気に働き続けるが、長瀞の街自体は、猛暑などの影響からか、コロナ禍前のにぎわいはいまだ戻らず…。

そんな女将が“にぎわい復活の切り札”と期待を寄せたのが、4年ぶりに開催する夏の風物詩「長瀞船玉まつり」。しかし開催直前、台風接近の予報が…祭りはどうなる?客足は?名物女将の思いを追跡しました。

■“70年”店に立つ名物女将「接客業が好き」

都心からおよそ2時間、埼玉県長瀞町。国の名勝・天然記念物に指定されている岩畳をはじめ、壮大な自然を間近に感じられるライン下りなどが有名な観光地です。

1912年に創業した“100年食堂”「味の老舗 若松」。名物は「みそかつ重」です。

客:「甘めのみそで、おいしいです」

鶏むね肉のカツに特製のみそダレをたっぷりかけた、老舗自慢の一品。他にも、地元の野菜をふんだんに使った「天もりそば」など、自然豊かな長瀞ならではのメニューはおよそ20種類。

一方、絶品グルメ以上に、客を引き付けるもう一つの名物があります。

不二子さん:「よく働くでしょう?裏に行けば洗い物してね。褒めて!誰も褒めないから」「気をつけてね、またのど乾いたら寄ってください」

名物女将・若林不二子さん。娘の良美さん(68)と切り盛りする食堂で、調理に皿洗い、接客にと、なんと定休日もなく実に70年も立ち続けているのです。

良美さん:「『もう休んで』って言っても出てくる。こういう接客業が好きなの」

■コロナ前のピーク戻らず…“いまだ元気ない”

およそ半世紀前の不二子さん。長瀞で評判の看板娘だったとか。

不二子さんの友人:「団体客が東京から来るでしょ。お客さんが親しくなったから連れて帰りたいわけ、東京へ。看板娘なんだよ」
常連客:「おばあちゃんの顔見ないと安心できない。来たかいがないの。うちはもう両親いないしさ、おばあちゃんが親みたいなもん」

そう語る、この常連さんも80歳。店の手伝いをかって出るなど、皆さんとってもお元気です。でも、長瀞の町自体は、いまだ元気がないと地元の人は言います。

旅館「長生館」 小埜和也社長:「少し暑すぎて歩いている人も少ないなと。コロナ前のピークだった年のような勢いはあまりない」
地元住民:「みんな(他に)行く所がいっぱいあって、長瀞はいい所なんだけど涼しい所があるとなおいいよね」

猛暑などの影響なのか、コロナ禍前のようなにぎわいは戻っていないといいます。

不二子さん:「まだまだコロナの影響ありますよね。寂しいことですよね」

■売り上げ激減…客ゼロでも「体力限界まで」

番組では、長瀞の活気を誰よりも願う看板娘・不二子さんをコロナ禍前の2018年から追い続けてきました。

不二子さん(当時88):「おみそがミソよね」

当時は「みそかつ重」だけで1日100食が売れるほどの盛況ぶりでしたが、3年前、コロナショックが直撃しました。

不二子さん(当時89):「(Q.人通りは?)全然。少ない、少ない」

売り上げは3分の1以下に激減したといいます。感染予防のため、何よりも好きな接客ができず裏方に。それでも、たとえ客がゼロでも店は開け続けたいといいます。

不二子さん(当時90):「開ければ、開けたで経費もかかりますけど、毎日(店を)開けるようにしておりますね。体力限界まで働いてみたいなんて、こういう時世になってみると思いますね」

不二子さんの思いを、娘の良美さんが明かしてくれました。

良美さん:「ここは駅を降りると目立つんだって。だからここが玄関だって言われたの、お客さんに。ここが閉まっていると長瀞みんな閉まっているみたいと言われたから『少しでもいいから開けなくちゃ』って」

長瀞の看板として、70年。そのにぎわいの火を灯し続けるために奮闘してきたのです。

不二子さん:「遅く開けても早く閉めてもいいから、お店は開けるように。でないと長瀞が眠っている感じになっちゃうって」

■4年ぶり“一大イベント”復活も…台風接近

そんな不二子さんが今、4年ぶりに町の復活の切り札と期待を寄せるのが、間近に迫った「長瀞船玉まつり」。明治時代末期、川下りの船頭が水上の安全を祈願したことが始まりといわれる、夏の風物詩です。

囃子(はやし)手が乗るのは、およそ500丁の灯篭で作る万灯船。フィナーレには、ライトアップされた幻想的な万灯船と、およそ3000発の花火が楽しめます。

4年前には5万人が来場した長瀞の一大イベントが8月に復活するのです。灯篭は、地元商店主らによる手作りです。

不二子さん(92):「幸せだね(祭りの準備は)結構こき使われるけど。あ~体力減退だ」

4年ぶりの開催に向け、忙しさもうれしい不二子さん。駅前から岩畳がある会場まで人で埋め尽くされる光景。70年間、長瀞の看板としてこの場所で店を続けた不二子さんは、もう一度そのにぎわいを見たいと、誰よりも願っていました。

不二子さん:「(Q.目の前人がいっぱいの風情見たい?)そうですね、私も若ければ飛んで回るんだけどさ」

ところが、祭りの開催日に台風が接近すると予報が出たのです。

長瀞船玉まつり実行委員会 村田光正実行委員長:「予備日が9月2日。もう一度仕切り直していければ…」「(Q.じゃあ9月2日は晴れるんですか)それはわかりません、それを言ったら同じことに何回もなる」

不安を抱えたまま迎えた、祭り当日。朝からあいにくの雨です。

村田実行委員長:「みなさん、おはようございます。4年ぶりですよ、これですよ。それでもやります」

台風の直撃は避けられたため、規模を縮小し、開催することになりました。

“目玉”のひとつであるおよそ500丁の灯篭を組み上げた「万灯船」。川の増水で船が運航できないため、急きょ、岩の上にやぐらを組むことになりました。

早朝6時から8人の大工で、およそ5時間かけて組み立て、2つのやぐらが完成しました。

そのころ、不二子さんはやはり天候への不安があるのか、期待していたほどの人出にはなっていない様子。

不二子さん:「もっと人がいっぱい来るかと思った…お天気が悪いとね」

それでも、不二子さんには祭りを成功させるため40年以上続けてきた大事な仕事がありました。

不二子さん:「これから着付けをお母さんたちが年寄衆になるから覚えてください」

それは、囃子手として参加する地元の子どもたちの浴衣の着付けです。

不二子さんは、今年を最後に引退する決意を固めていました。

不二子さん:「さぁ行くよ~」

朝あれだけ降っていた雨も上がり、長瀞の復活をかけた祭りがいよいよ始まります。

■4年ぶりの花火 待ち望んだ光景…「最高」

100年以上の歴史を誇る「長瀞船玉まつり」。開催を待ち望んだ多くの客が詰め掛けました。午後7時30分、長瀞の夜空に4年ぶりに打ち上げられたおよそ3000発の大輪の花。不二子さんも目に焼き付けるように見つめていました。

そして、待ち望んでいたこの光景も…。ふたを開けてみれば、コロナ禍前を上回るおよそ7万人もの観光客が来場しました。

不二子さん:「まだまだ人が来るね。こんなに岩畳にいたんかね。おかげさまで本当、最高だと思います。私ももう今年で最後だからって…」「(Q.きょうの姿見たら、まだまだやれるなと)おだてないでよ~。すぐその気になったりして」

これからも、この町の看板娘として活躍し続けてくれるはずです。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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