「東京大空襲」あすで78年 記憶を後世に…防空壕を模型再現 背景に“つらい思い出”(2023年3月9日)
一日で8万人以上の命を奪った東京大空襲から、10日で78年になる。戦争の恐ろしさを後世に伝えるため、自身の記憶を元に防空壕(ぼうくうごう)の模型を制作した女性を取材した。
■防空壕を再現…背景に“つらい思い出”
1945年3月10日、東京上空に現れたアメリカ軍の「B29」およそ300機が、1665トンを超える大量の焼夷弾(しょういだん)を投下した。
この無差別爆撃により、東京は火の海と化し、一日で家屋26万戸以上が全焼。死者は、およそ8万4000人に上った。
あれから78年、当時の遺品や空襲に関する資料を展示する場所で、戦争の記憶を伝え続けている一人の女性がいる。78年前に、東京大空襲を経験した二瓶治代さん(86)だ。
二瓶さん:「(Q.実際にご経験されたということで、当時の様子を教えていただけますか?)子どもたちがね、『母ちゃんお母ちゃん、お父ちゃんお父ちゃん』って、泣き叫ぶ声なのね。B29のすごい低い音なんですね。おなかがねじ曲がるような色んな音が入りまじって、防空壕の中に響いてくるようになりました」
二瓶さんは今回、悲惨な体験を伝えるため、当時、自身が逃げ込んだ防空壕を記憶を頼りに、半年かけて実物の3分の1の模型で再現した。
二瓶さん:「すごくカビ臭いし、暗いし。底には、すのこが敷いてあるんですけど、非常に湿っぽくて、私は嫌いでしたね。嫌な感じでした」
この防空壕の模型を作った背景には、つらい思い出があった。
二瓶さん:「(防空壕が)半分くらい崩れていたんですね。私のお友達も含めて、全員亡くなってしまいました」
■ウクライナの子どもたち「自分と重なる」
78年前の3月10日に起きた東京大空襲。当時8歳だった二瓶治代さんは深夜、父親にたたき起こされ、母親と妹、隣の家族と一緒に近所の防空壕に逃げ込んだという。
二瓶さん:「(防空壕は)素人が重ねた土のうですから。隙間から火や煙が入ってきちゃうんですね。そうすると、もう出られなくなっちゃうので。父が『早く出ろ』。そこに入ってるとね『蒸し焼きになるぞ』って。そういうふうに、中に呼び掛けたんですね」
父親のとっさの判断で、土手に避難し、難を逃れたという二瓶さん。一夜明け、家族で防空壕に戻ってみると…。
二瓶さん:「(防空壕が)半分くらい崩れていたんですね。お隣のおばさんとご一家、私のお友達も含めて、全員亡くなってしまいました」
二瓶さんが、模型制作を決めたのには、もう一つ理由があった。
二瓶さん:「ウクライナの戦争のなかでも、死んで亡くなっていく人たちの思いを伝えないといけないと思って。(ウクライナの映像)を見た時に、私も本当に自分が小さかった8歳の防空壕で震えてた自分と重なりましたね」
地下シェルターに避難し、暗がりのなか、寒さと恐怖に震える子どもたちの姿が、当時の自分と重なったという。
二瓶さん:「戦争だけは、絶対にやってはいけないと思います。ウクライナにもロシアにも、何か言い分はあるのかもしれません。使われる武器とか、戦争のやり方は違うけれど。でも、やっぱり、そこで死んでいく犠牲になっていく人。子どもたちその姿は、78年前の私たちと全く変わりない」
二瓶さんが再現した防空壕の模型は、10日から一般公開される。
■民間募金“1億円以上” 2002年に開館・一般公開
東京大空襲の悲劇を伝える「東京大空襲・戦災資料センター」は、建設までに苦難の道のりがあった。
現在の「東京大空襲・戦災資料センター」の元になったのは、1970年に結成された「東京空襲を記録する会」だ。
その「東京空襲を記録する会」は、東京都に空襲記念館の建設を要求。東京都は、1992年に建設を決定した。
しかし、財政難を理由に1999年に計画が凍結されてしまう。
そこで、民間募金を呼び掛けたところ、なんと1億円以上が集まり、2002年に開館・一般公開することができた。
初代館長となったのが、早乙女勝元さん。早乙女さんは1945年3月、12歳の時に東京大空襲を経験。1956年に作家となり、そして1970年に「東京空襲を記録する会」の発起人の一人となった。
2002年に「東京大空襲・戦災資料センター」の初代館長に就任。去年亡くなるまで、名誉館長を努めていた。
■来館数減 去年はピーク時の3分の1 施設維持は?
「東京大空襲・戦災資料センター」の来館者数の推移。2014年以降、来館者数が徐々に減少。2020年と2021年は、コロナ禍で大幅に減少した。
しかし、去年はロシアのウクライナ侵攻があり、空襲が過去のものではないという意識からか、来館者数が増えているが、ピーク時の3分の1程度にとどまっている。
経営の状態について「東京大空襲・戦災資料センター」学芸員の小薗崇明さんは「施設は入館料と寄付に頼っているので、維持するのは大変」だという。
また、「施設には、当時の遺品などは残っていくが、戦争を知る人の経験を後世に伝えることは難しくなっている。今のうちに当時を体験した人の声を聞き、模型などを作ることで、よりリアルな戦争の姿を継承していきたい」と、その思いを語っている。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2023年3月9日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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