“130年前”祖父の思いつなぎ…「寄席」で義援金を 日本人女性がトルコ大地震支援へ(2023年2月13日)

“130年前”祖父の思いつなぎ…「寄席」で義援金を 日本人女性がトルコ大地震支援へ(2023年2月13日)

“130年前”祖父の思いつなぎ…「寄席」で義援金を 日本人女性がトルコ大地震支援へ(2023年2月13日)

 発生から13日で1週間となるトルコ大地震。各国が支援に乗り出すなか、130年前、トルコのために尽力した祖父の思いを胸に、支援を行う日本人女性を取材した。

■救助活動続く…氷点下で“路上生活”も

 トルコ大地震から13日で1週間。CNNによると、死者数はトルコと隣国シリア合わせて3万4000人を超えたという。

 生存率が著しく低下するとされる72時間のおよそ倍の時間が経過するなか…。

 救助隊員:「赤ちゃんだよ。これを上げて。ブラボー!!ブラボー!!」

 5日半ぶりに救出されたのは、生後7カ月の赤ちゃん。

 救助隊員:「早く道を開けて。足元、気を付けて!後ろに下がって!ゆっくり!」

 この赤ちゃんは、がれきのくぼみで奇跡的に生存していたという。決死の救出活動が進められる一方で、被災者の生活支援も急務だ。

 被災者:「車もない、電気もない。ここには何もない。発電機もない。人々は寒さと飢えで死ぬだろう」

 氷点下のなか、路上生活を余儀なくされている人も多くいるという。

■日本人女性 トルコ支援のきっかけは…

 各国が支援を行うなか、日本でも、1人の女性が支援に乗り出した。

 和多利月子さん(58):「祖父・寅次郎から続いているトルコのご縁で。早く、明るいトルコの国民の笑顔を見たいなと」

 トルコ大地震で世界各国から物資や義援金が寄せられるなか、日本でも支援の輪は広がっている。

 東京・渋谷区のワタリウム美術館で働く和多利さんも、支援のために立ち上がった一人。和多利さんは13日、この美術館で、トルコ大地震支援のための「チャリティー寄席」を開く。

 和多利さんが支援を行おうと思ったきっかけ。それは、およそ130年前に日本で起きたトルコの「エルトゥールル号遭難事故」が関係している。

 1890年、当時のオスマン帝国の特使らを乗せた軍艦「エルトゥールル号」が日本から帰国する途中、和歌山県沖で悪天候に見舞われ、座礁した。

 乗組員の500人以上が犠牲となったが、地元住民らの懸命な救助活動により、69人の命が救われた。

■少しでも力に…「チャリティー寄席」

 この事故を知り、当時、遺族などへの義援金を募ってトルコまで届けたのが、和多利さんの祖父・山田寅次郎さんだ。

 和多利さん:「(義援金を)お渡しして帰ろうとした時に、当時の(オスマン帝国の)皇帝に、『残って日本語と日本文化を教えてほしい』というふうに言われ。一つのチャンスを握って、日本とトルコの友好を広めようというふうに思ったんだと思います」

 この功績は、日本とトルコの「友好の礎」になったとされ、今も語り継がれている。

 和多利さんも、年に一度はトルコを訪れ、現地の人と交流を深めてきたという。

 そして、地震発生前の先月もトルコを訪問していた。

 和多利さん:「(Q.トルコで大地震が起きたと聞いて?)現地でトルコ人の友人とも、日本もトルコもお互いに地震の多い国だから、お互いに気を付けましょうねっていう会話をした後での地震のニュースだったので。義援金活動をしようって、すぐに思いました」

 幸い友人たちは無事だったというが、少しでもトルコの力になりたいと「チャリティー寄席」を開くことにしたという。

■“遭難事故”救助活動に着想を得て…

 実は、祖父の寅次郎さんも当時、義援金を集めるために「寄席」を開いたのだ。

 和多利さん:「寅次郎が、なぜ落語を選んだかというのは、ただ単にお金を集めるということではなく、隣に座った方とかと交流をして、人と人をつなげていくことによって、平和が広がっていくというふうに思って」

 寅次郎さんの思いも引き継がれた13日の寄席は、落語家の桂春蝶さんが行う。

 春蝶さんは、人生や命などをテーマにした創作落語に取り組んでいる。演目は「エルトゥールル号遭難事故」の救助活動に着想を得て書き下ろしたものだ。

 和多利さん:「(Q.『寄席』はどんな会にしたい?)2月13日が、山田寅次郎の66回目の命日ということもございまして。祖父・寅次郎から続いているトルコのご縁で、トルコの人と私たちも一緒に乗り越えて、早く明るいトルコの国民の笑顔を見たいなと思っております」

(「大下容子ワイド!スクランブル」2023年2月13日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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