「言いにくいことも率直に…」田中角栄総理の肉声で振り返る 日中交渉舞台裏 1972年(2022年9月29日)【映像記録 news archive】
1972年9月、長年の懸案だった中国との国交回復を実現させた田中角栄総理。
6日間の中国訪問で無事交渉をまとめあげ、30日に羽田空港に降り立った瞬間の映像です。
この帰国当日に総理が日中国交正常化を報告した3カ所での発言をまとめました。
まず羽田空港では、その歴史的な意義をアピールしました。
田中角栄総理
「日中国交正常化は、日中両国民の長い間の願いであり、アジアの平和の基礎をつくるものであります。この課題は、今日の国際情勢、ひいては大きな歴史の中でとらえ、いつか誰かが果たさなければならない仕事であったと信じます。この意味において私は、日中の友好関係を発展させるとともに、第三国との友好関係を一層増進することを念願して今後の外交を行いたいと存じます。終わりに臨み、私どものこのたびの訪中にあたって、国民各層から寄せられたご協力に対しまして、ここに改めて心から感謝を申し上げる次第であります。」
この直後、総理官邸で開かれた記者会見では、厳しい交渉の内情を明かしました。
5日に渡って繰り広げられた交渉の過程では、通常の外交交渉では言いにくいような内容にも踏み込み、対立点を乗り越えたといいます。
田中角栄総理
「25日から6日間、それは一週日にも満たない短い間ではございましたが、日中国交の正常化という長い懸案解決という面から見ると、濃密な毎日だったと思います。まあ私たち、周首相の招待を受けて訪問をするという形であったわけでございますが、これは非常に意義ある会談であったと思います。近くて遠い両国、その両国が国交の正常化を行う。それが両国のためだけではなく、アジアの平和のために、また世界の平和に貢献するという大きな願いをかけて両国が会談をする、ということでありましたので、まあ、あの率直に意見を述べ合ったと。なかなか外交交渉では言いにくいものごともすべて、率直な意見交換を行った。そしてこの会談というものを実り多きものをというような言葉で表されておりましたものが、この会談が始まるその瞬間から、お互いの立場、お互いを考えるといろんなことがございますが、しかし日中の国交の正常化、新しい国交のスタートということにすべてをかけよう、そして将来に期待をかけることで過去の色々な問題、立場、そういうものよりも、将来の両国の関係にウェイトをおきましょうと。そういう考えがないとこの会談はなかなかまとまらないかもしらん。ですから、日中国交正常化という一点だけを実現するために精力的に誠意を持って会談をいたしましょうと。まああのそういう誠意がこの会談を成功に導いたものだと思います。」
成果を強調する田中総理に対し、自民党内は一枚岩ではありませんでした。
同じ日の夕方開かれた両院議員総会の映像です。
中国大陸との関係を優先し、台湾との外交関係を途絶えさせた責任について、一部の議員から厳しく追及され、弁明に追われる一幕もありました。
田中角栄総理
「党の皆さんが政府に与えた枠をそのまま守ったか、という問題が1点残っておると思います。しかし党が政府に求めた、政府に与えた日中復交の条件や枠をそのまま厘毫も違えることなく守って復交をなしとげたかったのであります。しかし、枠を幾ばくかはみだしたというご認定をなさる方もあるかもわかりません。私はしかし、最終的な決断を行うにあたっては、可能な限り最大の努力を傾けたつもりでございます。」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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