1971年 目蒲線下車徒歩5分 巨大赤電話(10円玉専用)【東京ヘリ撮50年】(2022年8月10日)
目黒川を大きな通りが渡って、
ここから権之助坂の上りになります。
1971年、昭和46年5月の映像です。
坂上の目黒駅が近づいてきて、道がそれぞれ上りのみ、下りのみの二手に分かれます。
「目黒名人会寄席」の看板が見えてきました。
この時、寄席としては行き詰まっていて、半年ほどのちに立川談志さんが復活させましたが、結局長続きしませんでした。
歩道橋は撤去され、横断歩道に変わりました。
下り専用の、元々の権之助坂を上ります。
銀行の建物の手前側が古くからある行人坂です。
目黒駅です。向こう側、画面いっぱいに延びるのが国鉄の山手線のホームで、半地下に作られた「掘割駅」です。
貨物線を挟んで、左側が東急目蒲線のホームです。
こちらは地上駅でしたが、地下鉄と相互乗り入れの完全な地下駅に姿を変えました。
国鉄目黒駅からスタート地点の目黒新橋のほうを見ます。
上り専用のバイパスを越えて、北へ飛びます。住友クラブ、東京営林局、三条実美ゆかりのホテル、都立教育研究所。
道のこちら側に自動車教習所が見えました。
ヘリが少し左を向くと、右奥から大きな建物が見えてきました。ボウリング場です。
さらにその奥は、防衛庁の研究所です。
目黒区三田(みた)の街並みを見ながら、ヘリはそちらのほうに少し向きを変えます。
ボウリング場にはプールもついていて、その横は三田用水が道路をまたぐ短いトンネルです。
道は新茶屋坂といい、それを下り、三田用水を見ながらさらに回ると、茶屋坂です。
落語の「目黒のさんま」の舞台になった場所です。
もともとは、将軍家光だか吉宗だかが目黒に鷹狩りに来た際に寄っていた「爺々が茶屋」を舞台にした話のようです。
カメラが寄っていくと、この逸話を記した立て札が見えます。
今はここもマンションに変わりました。看板はあります。
ヘリがぐるりと旋回すると、崖下にあった茶屋の立地がよくわかります。
新茶屋坂に戻って坂下に向かいます。
タンクは工業技術院の試験所分室で、筑波に移転しました。
その後できた清掃工場は、
今、建て替え工事中で、今年度、2022年度中に完成予定です。
目黒川に沿って田道橋です。
画面右上は田道小学校。
目黒川のこちら側は石油化学会社の研究所で、今は区民センターになっています。
出発点の目黒新橋に戻ってきました。
ビルの屋上に赤い大きなものが見えます。
ビルは電話機メーカーの本社で、屋上に寄っていくと赤いものは、巨大な赤電話でした。公衆電話の一種です。
今ではすっかり姿を消した赤電話、しかもこれはダイヤル式の赤電話です。
市外通話もできるように大型になったもので、1966年からの登場です。
(撮影の半年後にはデザインを一新したものも生まれました。)
この会社は合併で名前を変え、今もビジネスホンなどを作っています。
行人坂下の太鼓橋です。
緑は目黒雅叙園です。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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