【独自】出航判断に“社長関与”か・・・元従業員 以前は「船長決めた」 知床観光船事故(2022年4月28日)
2年前に、「知床遊覧船」で働いていた元従業員は、出航の判断に社長が加わったことが、事故の原因の一つではないかと指摘します。
■以前は「船長が決めていた」
会社の元従業員:「私がいた時は、そういう気象条件の時は、絶対出ていませんでした。下手すれば、前の日から決まってましたから。それは、社長が決めるのではなくて、船長が決めていました」
当時は、ベテラン船長が運航するか、しないか決定を行い、桂田精一社長に相談することはなかったといいます。
しかし、そのベテラン船長が会社を辞め、去年から豊田さんが船長を務めるようになってから、運航の判断に社長も関わるようになったとみられます。
知床遊覧船・桂田精一社長:「(Q.運航日は毎日、打ち合わせしてから決める?)そうです。必ず話はします」
そして、2年前に入社したばかりの豊田さんを異例ともいえる形で、船長に抜擢(ばってき)したのも、桂田社長でした。
■不明船長「何も教えてもらえない」
桂田精一社長:「通常だと、3年ぐらい甲板員をやっていくような形を取っていましたし、そういう話も聞いていた。ただ、ベテラン船長の中でも、『豊田さんは、素晴らしいセンスがある』と、『(船長として)来年でもいける可能性ある』と、シーズンの終わりには言っていた」
しかし、元従業員によれば、豊田船長は、辞めてしまった元船長から十分な引継ぎがなされていなかったため、本人も不安を抱えていたと証言します。
会社の元従業員:「基本的に走る航路ですね、例えば、どこで陸地に近寄れるとか、どこに岩礁があるとか、浅瀬があるとか。全然教えてもらっていないと思います。豊田船長からも、『何も教えてもらえない』と、グチも聞いてます。かなり苦労、怖い思いして運航させていたと思う。しかも、乗客の命を預かって」
およそ2時間半に及んだ桂田社長の会見。3度目となる土下座で締めくくりました。
犠牲となった、ぬで島優さん(34)。両親は、桂田社長の会見を見て、悔しさをにじませました。
ぬで島優さんの父親:「遅かったですね、とにかく対応が。何かあったら、すぐきてまず謝ると。詳細については、今調査中ですと。そういうのが、誠意ある対応だと思う。あれだけ荒れた海で、冷たい中に入って。恐怖と、本当に死ぬ間際まで、無念だったと思います」
※「ぬで」は「木へん」に「勝」勝は上の点が「八」
(「グッド!モーニング」2022年4月28日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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