能登牛1000頭 水が欲しくて…響き渡る悲鳴 死んだ牛も…亡き父に誓う“牛舎再興”【羽鳥慎一モーニングショー】(2024年1月22日)
21日、能登半島地震で被害を受けた石川県の珠洲市と能登町に住む中学生およそ140人の集団避難が行われました。
■兄は集団避難…弟の決意「これからは自分が」
地震発生から3週間。21日に被災地では雨が降り続き、能登町では一時、大雨警報が出されました。
降りしきる雨のなか、役場に集まったのは町内の中学生およそ40人。目的は、金沢市への集団避難です。
出発前、友人との再会を喜び合う子どもたち。避難先に望むのは、当たり前だった日常です。
中学3年生
「水出るし、いっぱい勉強できるなって」
「金沢行ったら、普通の生活をしたいです」
見送る家族の目には涙も…。
保護者
「本当、元気で帰ってきてくれることを…もう、寂しくて…」
珠洲市からも、中学生およそ100人が金沢市へ集団避難しました。
濱田真桜さん(中学2年生)
「珠洲離れて、金沢行って生活するのもちょっと不安やけど、友達と会えるのが楽しみです」
妹 濱田万愛ちゃん(7)
「さみしい」
寂しさをこらえ、家族が皆で見送ります。
万愛ちゃん
「頑張って」
澤村博司さん(44)
「頑張ってください」
長男 駿さん(中学1年生)
「はい」
博司さん
「連絡してください」
駿さん
「はい」
博司さん
「寂しい半面、まあ仕方ないかなって。苦渋の決断でしたけど」
駿さん
「少し、ちょっと心配だけど、ほぼ楽しみでいっぱいです」「(Q.寂しさは?)ちょっと寂しいです」
澤村さん親子は、インフラの復旧にめどがつかないため、中学1年生の長男の避難を決めたといいます。
父親の博司さんと一緒に見送りに来たのは、小学4年生の弟・樹くんです。
博司さん
「寂しいなあ、兄ちゃん」
樹くん
「あいつカーテン閉める気や」
博司さん
「恥ずかしいんや」
珠洲市に残った澤村さん家族は、自宅で生活しています。電気と水道が復旧していないため、現在は発電機で電力をまかない、近くの給水所で水をもらう毎日です。
樹君
「お兄ちゃんがいつも、お父さんがいない時に発電機とかをつけてくれるけど、これからは自分がしていきたいです」
父の思いは…。
博司さん
「2カ月後、また元気に成長した駿の顔が見れればいいかなって」
石川県は21日に、水道の復旧時期の見通しを公表。珠洲市は来月末から一部地域で仮復旧する見込みだとしています。
■地震が奪った…妻と3人の子「生きていた証を」
この週末、土砂崩れがあった被災地では、懸命の捜索が続いていました。
家族4人を亡くした大間圭介さん(42)
「自分1人でここでご飯を食べていたら、すごい涙が出てきて。ああ、みんな居なくなったんだなって。すごいつらかったですね」
大間圭介さんは地震で起きた土砂崩れで、妻・はる香さん(38)、長女・優香さん(11)、長男・泰介くん(9)、次男・湊介くん(3)を失いました。
録音されていた湊介くんの声
「あたたたた そうすけくんです!おねがいします!」
圭介さん
「思い出しますわ、本当に。年末もこれで遊んどったなって」
家族5人は去年12月30日から、珠洲市にある妻の実家に帰省。そこで発生した、震度5強の1度目の地震。警察官の大間さんは出動に備え、外の様子を見に行きました。
圭介さん
「『ほんとに大丈夫だよ』『ごめんね、お父さん…仕事行かなくちゃいけないから』という声掛けはしたと思います」
それが最後に見た家族の姿でした。
1度目の地震から4分後、震度6強を観測した2度目の地震。家は、あっという間に土砂に飲み込まれました。
圭介さん
「とにかく家族を助けに来てほしいので、『助けてください』って叫んでいたような気がしますね。110番とかして。110番かからなかったんですけれど」
地震から4日目に妻と娘が、その翌日に息子2人が遺体で発見されました。
圭介さん
「これは、妻の家の前にあった海です。本当に珠洲は楽しい所だったけれど、今はもうつらい」
思い描いていた未来は、新年を祝うその日に奪われました。
圭介さん
「子どもたちの大きくなる姿は、本当に見ていたかった。どんな大人になったのかな。大人になったら、どんな仕事に就いていたのかな。皆が大人になったら、妻と2人で何しているのかな」
4人の葬儀を経て、今、取材に応じるその思いは…。
圭介さん
「私にとっては自慢の妻と子どもたちだったので。この子たちが、この世の中で一生懸命生きていたんだよって。最後は亡くなってしまいましたけれど。こんなんだったんだよっていうのを生きていた証として残してあげられれば、この子たちも少しは生きていた意味があるというか」
21日、石川県は亡くなられた方のうち遺族の了承が得られた8人の名前を新たに公表。これまでに232人の死亡が確認されています。
■亡き父に誓う…牛舎再興「元の環境取り戻す」
ブランド牛「能登牛」を飼育する平林将さん(40)
「一歩一歩、今やれることっていうのをやっていかなきゃいけないですし」
石川県のブランド牛「能登牛」を飼育している能登牧場の平林さんです。
地震発生から一度も自宅には戻らず、牧場の一角にある事務所に寝泊りをして、およそ1000頭の牛の世話をしています。
地震発生から3日後に撮影された映像。牛の悲鳴が牛舎に響き渡ります。
平林さん
「牛たちは、水が飲めないと困ってしまうし、水をほしくて人間たちに訴えかけてたんだなって」
断水のため、普段の10分の1ほどしか水を与えられなかったのです。
平林さん
「水がほしくて鳴いていて、エサをあげてもエサを食べない。牧草をあげても牧草を食べない」
水が飲めず、死んでしまった牛もいました。
平林さん
「本当に、もう少し水っていうのが、早く復旧してたらなというふうには思うんですけど」
さらに、牛たちを苦しめたのは…。
平林さん
「道路状況が悪くて、こういった大きい10トントラックが通れなかったので」
道路が崩れ、エサを運ぶための大きなトラックが牧場まで通れなかったのです。
地震の爪痕は牧場内にも…。地面がぱっくり割れて、大きな溝に。さらに、被害は牛舎の中にも…。
平林さん
「見えないですけど、牛舎の牛たちがいる下を通ってずっとこういうふうに。100メートルおそらく亀裂が入ってるだろうって」
地震から2週間以上経った18日、ようやくエサを運ぶ大きなトラックが通れるようになりました。
平林さん
「きょうで2回目です。ありがたいですね」
震災後2回目となるエサの配送が来ました。
平林さん
「18日間、エサが来ない状況でした。本当に底をつきかけていた状態でした」
これまでは、エサの配送がいつになるか分からなかったため、量を調整しながら与えていたといいます。
平林さん
「少しずつ牛たちにあげる量も増やすことができていたので、牛たちも少しずつ元気を取り戻して」
さらにこの日は、東京へ向けて7頭を出荷しました。
自身も被災しながら、何とか出荷の日を迎えられた平林さん。安堵の表情を浮かべます。
平林さん
「出荷ができる、エサがくるっていうのは、日々の仕事のサイクルが戻りつつあるっていうことでもあるので。何とかこれを続けていけるようにしないといけないですし…」
先が見えない状況のなか、奮闘するのには“ある理由”がありました。
平林さん
「一昨年亡くなった父が、こういうふうに牛舎を建てれば、こういう牛舎の設計にすれば良い牛になるんだっていう思いがあって。一緒になってつくっていった牛舎なので、その分思い入れがありますし、何とかして地震発生前の環境を取り戻さないといけないっていうのは、本当に強く思ってます」
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年1月22日放送分より)
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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