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“銃撃戦”“マイナス15度”「あさま山荘事件」50年目の現実 当時の隊員が語る
過激派が人質をとり立てこもった「あさま山荘事件」から50年が経ちました。当時、現場に出動した警視庁の元機動隊員が現役の隊員に対し当時の状況を語りました。
1972年2月、長野県軽井沢町の山荘で「連合赤軍」のメンバーが女性を人質にとり、10日間立てこもった「あさま山荘事件」。人質の女性は救出されましたが、警視庁・第二機動隊の内田尚孝隊長ら警察官2人と民間人1人が銃撃戦のすえ死亡しました。
人質が助け出されてからまもなく50年となる今月25日、第二機動隊の隊長らが慰霊碑に献花し内田氏の部下だった男性が当時の状況を語りました。
元警視庁第二機動隊員 富田俊彦さん(78)
「零下15度という寒冷地で、車の運転も山道で今では考えられないような過酷な形で、途中、盾を2枚重ねる作業の隊員が倒れたりしていました。当時の隊員とか隊長の使命感や責務とか思いを伝えられれば」
隊員らが寄せ書きをした国旗や、銃弾を受けた盾なども報道陣に公開され、現役の隊員は「先輩たちの思いを引き継ぎ、国民の安心安全を守れるよう努力したい」と話しました。
(25日23:44)
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