“次の世代にどう伝えるか” ふるさとの戦争の歴史を語り継ぐ中学生 島の人の証言などを7分半の動画に|TBS NEWS DIG
戦争の記憶を未来につなぐ「NO WAR プロジェクト つなぐ、つながる」です。78年前の夏、島唯一の小学校が空襲を受けた大分県の保戸島。ふるさとの戦争の歴史を語り継ぐ中学生の姿を追いました。
大分県津久見市の沖合に浮かぶ保戸島。かつてマグロの遠洋漁業基地として栄えたこの島には、忘れることのできない戦争の記憶があります。
「保戸島小中学校、平和集会を始めます」
7月25日、島の小中学校で行われた平和集会。中学3年生の神崎智也さんは9年間学んだ学習の集大成として、自身でまとめたビデオを発表しました。
(神崎智也さん作成のビデオより)
「日本各地にアメリカの戦闘機が来て、大量の爆弾を投下し、多くの人の命を奪いました」
保戸島中学校3年生 神崎智也さん
「戦争を体験した人がみんな、二度と戦争を繰り返してはならないと言っていたので、そういった思いを次の世代に受け継がないとなと思って、この動画を作りました」
保戸島では78年前の1945年7月25日の朝、当時の国民学校がアメリカ軍の空爆を受け、児童・教員あわせて127人の尊い命が失われました。当時、ほとんどの島民が身近な人を亡くした凄惨な空襲について、島では今も語り継いでいます。
空襲体験者
「あまり大きくなかった、黒いような飛行機。廊下の方に逃げるとき浮き上がった、ふわっと。もう落ちている爆弾が。何にも分からない。誰も助けてくれない」
(神崎智也さん作成のビデオより)
「1発目は現在の体育館の裏の民家に、2発目は学校前の海、3発目が学校に直撃しました。爆弾は5年生と1年生の教室の上に落ち、多くの人が犠牲になりました」
自身の祖父も空襲の体験者で、幼いころから直接話を聞いてきた智也さん。ビデオでは、島の人の証言や爆弾が落とされた経緯などを7分半の動画にまとめています。
西田菊人さん(神崎智也さん作成のビデオより)
「作戦記録というものがあった。その中に、保戸島のレーザー基地を爆撃したと書いている。軍事基地とアメリカは思ったかもしれない。子どもが一番、戦争は犠牲になっている」
保戸島中学校3年生 神崎智也さん
「小学1年生の時から保戸島空襲を学んできて、戦争を二度としてはいけないという思いを強くもって。戦争を体験した人のインタビューを通して、戦争の悲惨さや繰り返してはいけないということを伝えたい」
ビデオを作った智也さんは現時点で、島で生まれ育った最後の子どもです。中学卒業後は進学のため島を離れます。
戦後78年、保戸島では空襲の体験を語る人がいなくなっていて、次の世代にどう伝えるかが課題となっています。
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