【報ステ】「広島でなければ出なかった言葉」G7“電撃来日”ウクライナ大使に聞く(2023年5月22日)

【報ステ】「広島でなければ出なかった言葉」G7“電撃来日”ウクライナ大使に聞く(2023年5月22日)

【報ステ】「広島でなければ出なかった言葉」G7“電撃来日”ウクライナ大使に聞く(2023年5月22日)

21日に幕を閉じたG7広島サミットは、ウクライナのゼレンスキー大統領の出席で、世界が一挙に注目しました。

木原官房副長官や、松田邦紀駐ウクライナ大使が出迎えるなか、広島に降り立ったゼレンスキー大統領。先月、本人から対面参加の強い要望があり、この日に至ったといいます。

大越健介キャスター:「広島G7サミットの、もう一人の主役とも言える、ゼレンスキー大統領。広島空港に到着後直ちに、ツイッターに投稿しました。このなかで『平和がより近付いてきている』と期待を示しました。ゼレンスキー大統領、サミットのメイン会場に到着です」

メディアセンターでも、その動向が報じられると、各国の記者たちは手を止め、画面から目を離すことはありません。

アメリカメディア:「1回の話し合いでも、多くの問題が解決できると思います。コーヒーを飲みながら、夕食を取りながらでもあり得ます。だからこそ、首脳たちは、G7で世界規模の問題を話し合うのです。ZoomやSkype会議より、よほど良い」

カナダメディア:「ゼレンスキー大統領の電撃訪問により、重く痛ましい歴史を持つ広島から、象徴的な強いメッセージを発信するだけでなく、首脳たちが実際に平和の構築に向け、協力する場所になりました」

一番注目されたのは、平和公園での献花だったのではないでしょうか。

大越健介キャスター:「今、慰霊碑の前へ進みながら(岸田総理とゼレンスキー大統領)2人が会話をしています。こうした時の会話というのは非常に大事だと思います。同じ空間、同じ場所を共有して、同じ思いを共有する、首脳外交にとってそれは非常に大事なことだと思います」「今、花を2人の首脳が手向けました。静かな時間が流れています。深くこうべを垂れて、平和への思いを新たにしているのでしょうか」

広島の印象について、ゼレンスキー大統領は。

ゼレンスキー大統領:「破壊された広島の写真は、バフムトや、その他の破壊された街と非常に似ています。ロシアを最後の侵略国にするには団結が必要です。侵略を止めた後の永久の平和のために」

また、原爆資料館で見た展示物にも言及しています。

ゼレンスキー大統領:「これだけの勇敢さで挑まなければ『ジェノサイド』が成功したかもしれない。ウクライナに残るものは影だけだったでしょう。影だけが。戦争を博物館の中だけにとどめるように、誰もが出来得ることをやる必要があります」

繰り返し使われた「影」という言葉。『人影の石』は原爆の熱線で焼かれた人の影が残る石段です。

資料館でゼレンスキー大統領と対面した被爆者・小倉桂子さん(85)は。

小倉桂子さん:「川の中がどういうふうに人でいっぱいいて、生きている者もみんな流されていったことも話しました。話せることは全部話しました。そしたらね、本当に自分の国のことを思われたと思う。ずっと考えていらしたと思う。何にもおっしゃらないんです。でも、たまらない顔をしてらっしゃった」

被爆地・広島で行われたサミット。世界に何を訴えかけたのでしょうか。

大越健介キャスター:「2人の首脳が、平和を象徴する広島の平和公園の中で、同じ時間を共有し対話をする姿を見ると、外交というのは力があるんだというのを感じます。戦争をしているウクライナ、ロシアの侵略行為を受けているウクライナですから、私たちはその武力行使の状況、戦況を中心に伝えてきましたが、この3日間の広島サミットを取材して、やはり外交の可能性というものを感じます。ぜレンスキー大統領自身、そのことをしっかりと意識しているからこそ、この多忙な日程を縫って広島にやってきて、G7をはじめ、様々な国の首脳と話し合いを持ったのだと思います」

滞在30時間の間に、日本やアメリカをはじめ、積極的に首脳会談を行い、新たな支援などを取り付けたゼレンスキー大統領。G7やEUのトップたちと一緒に写る集合写真は、新たな枠組みの象徴のようでした。

滞在中、ゼレンスキー大統領と共に行動してきた松田駐ウクライナ大使は、このように振り返ります。

松田大使:「広島でなければ出てこなかった言葉があった。達成感と満足があったと思う」

ただ、G7が主導するウクライナ支援に、不満の声がないわけではありません。特にロシアとの距離が近い国からすると、ゼレンスキー大統領の電撃的な来日は、だまし撃ちに近いものでした。

ブラジル、ルラ大統領:「私はウクライナ問題を話すために来たわけではない。サミットは経済と気候変動について議論する場で、戦争の話は国連でやるべきだ」

それでもインドのモディ首相やベトナム、インドネシアなどのロシアとの関係が深い国のトップと話せたことは、ゼレンスキー大統領にとって大きな成果だったようです。

ポーランドメディア:「インドとロシアは昔から利害を共有していますが、モディ首相は今回、戦争終結に向け、ウクライナを支援すると述べました。そういう意味で、今回の来日は大きな成果があったと言えます」

【“異例G7”間近で見たゼレンスキー大統領は】
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ゼレンスキー大統領来日の立役者の1人、駐ウクライナ大使の松田大使に聞きます。

(Q.ゼレンスキー大統領は無事、広島からの帰路につきました。今の率直な気持ちを聞かせてください)

松田大使:「本当にほっとしています。それと同時に、岸田総理のリーダーシップのもとで、関係者全員でしっかりと、サミット全体の運営、ゼレンスキー大統領の受け入れを無事に終えることができて、本当に良かったと思っています」

(Q.岸田総理は22日、自民党の役員会で「先月になってゼレンスキー大統領から対面参加の強い要望があった」と明らかにしました。それが事実だとすると、2カ月弱という非常に短い期間での準備だったことになります。かなり苦労があったのではないですか)

松田大使:「首脳外交ですから、平時の時でも準備に細心の注意が必要になります。戦時下の指導者が日本を訪問するわけですから、大統領自身の安全や、G7の日程の中の位置付け、日本とウクライナの間で慎重かつ細心に調整しました」

(Q.松田大使は、ウクライナの首都キーウにある日本大使館で、調整に奔走されたことになりますね)

松田大使:「3月の岸田総理のウクライナ電撃訪問、去年10月の大使館再開以来、ウクライナ政府、特に大統領府との間には、様々なレベルで緊密な関係を作ってきたので、信頼関係を踏まえて調整できたと、振り返って考えています」

(Q.ゼレンスキー大統領にとって、G7広島サミットへの対面参加は、様々なリスクや準備を考えても、行く価値があったことになりますね)

松田大使:「ゼレンスキー大統領も記者会見をはじめ、色んな場で仰っていますが、これまで6回、オンラインでG7の首脳が集まる場に参加しましたが、やはり皆がいる所に自分も一緒にいたい、もしくは、いるべきであると。そして、侵略戦争は今、そういうことを必要とするタイミングになっているという思いを強く持っておられると、調整を通じて感じました」

(Q.リモートとは違う、対面参加の意義が、外交の場合はありますか)

松田大使:「G7各国とは個別には会っていますが、G7の場で一堂に会して、対面で会うことの意味。それから、今ますます重要な力を持ってきている『グローバルサウス』を代表するような国が今回、広島サミットに招待されています。その人たちにウクライナのことを説明すると同時に、グローバルサウスの抱えている問題。例えば、侵略戦争の結果、食糧危機やエネルギー危機といった様々な問題が出てきています。大統領が問題意識を持っている。その相互理解を深めたいという思いがあったと感じます」

(Q.原爆資料館から原爆慰霊碑の献花まで、ゼレンスキー大統領と岸田総理は2人で長い時間を共に過ごして、会話もしていました。近くで見ていて、どう感じましたか)

松田大使:「岸田総理とゼレンスキー大統領が2人で並んで献花をされる場面、2人でお話をされている場面を見ながら、平和の国日本の指導者と、今まさに侵略戦争のもとで頑張っている指導者の2人が、他でもない広島の地で、平和公園の場にいることの象徴的な意味を強く感じました。ゼレンスキー大統領自身、岸田総理に対して『岸田総理と一緒に献花ができたことが大変光栄だった』『献花や資料館の訪問を通じて改めて、戦争や核兵器がもたらす被害の甚大さへの認識が、さらに深まった』『戦争は許されないということを再確認した』と話されていました」

(Q.ゼレンスキー大統領から松田大使にかけられた言葉はありましたか)

松田大使:「到着された時、お見送りの時に2度、ゼレンスキー大統領から『準備ありがとう』『来て本当に良かったよ。ありがとう』という言葉をかけて頂きました。それと同時に、ゼレンスキー大統領から見送りの時に『キーウに戻ってきて、しっかりフォローアップを頼む』という話も言われました」

ゼレンスキー大統領は来日の最後に、記者会見を行いました。その中で、松田大使が印象に残った場面を挙げていただきました。

ゼレンスキー大統領:「戦争によって(ウクライナが)歴史の石に影を残すのみになったかもしれない国からここに来ました」「広島は復興した。だから我々も、今は廃墟となった町や村を再建できる」

(Q.1つ目の言葉は、原爆資料館にある『人影の石』を意識しての言葉ですね)

松田大使:「明らかに『人影の石』を意識しての言葉だと受け止めました。2つ目の言葉にもつながってきますが、侵略戦争の結果、石の上に残った影だけのような国になるかもしれない、なったかもしれない国から来たけれども、今はしっかりと踏みとどまって国土防衛をやっている。そのなかで、これまでの日本をはじめとするG7、国際社会に対する感謝を直接伝えたいという気持ちにつながっていく言葉だと受け止めました。ゼレンスキー大統領は、広島が資料館の写真などを見て、大変な衝撃を受けられたにもかかわらず、外に一歩出ると、輝くばかりに復興していると。バフムトをはじめ、今ウクライナの町が同じようにがれきの山、焦土と化していますが、自分たちも復興できるという気持ちを強くされたのだと思います」

(Q.グローバルサウスの国々からは、様々な反応はありましたが、いずれにせよ、直接来たことで話せたことは大きいですか)

松田大使:「大きかったと思います。ゼレンスキー大統領自身、今回のG7サミットにおいて、グローバルサウスの主要な国をお招きして、リーダーシップを取った岸田総理に対して感謝の言葉を述べました。今回、色んな意見がありましたが、最大公約数として少なくとも、参加した招待国の皆さんは『世界のどこであっても、力による現状変更の試みは許されない』『法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持することの重要性』に関しては、それぞれの立場の違いはあっても、一番重要なところではコンセンサスができました。岸田総理のもとで作り上げられたコンセンサスに対して、ゼレンスキー大統領は感謝し、高く評価されていたと思っています」

【迫る反転攻勢…どうなる“戦争終結”】

ウクライナの戦況にも変化がありました。
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